1人で動くことが難しい

私が外国人だからという理由もあるだろうが、ここに来て1人で買い物をしたり行動することの難しさを感じている。

サリーのジャケットを仕立てるにしても、ピアスを開けるにしても、マーケットで洋服を買うにしても、とにかく1人で買いに行くと、普通の値段よりも高く言われてしまう。
他の地方ではどうか分からないが、コロンボでは正直、事実として存在している。だからこそ現地人からも「タニエンヤンナエパー」(一人で行っちゃダメ)といつも言われるのだ。

その場では、今度一緒に行こうとか、今度お店を紹介するよ、と多くの人が言ってくれる。しかし、すんなりのそのお店に連れてってくれたり、紹介してもらえないのがスリランカあるあるだ。
例えば、ピアスを開けにサロンに行きたいと同僚に相談した時も「私達があけてあげる」→「(3日後)やっぱり自分たちで開けるのは難しいから来週サロンに一緒に行こう」→「(当日になって)明日行こう」→「(次の日)今日は体調が悪い」と中々ピアスを開けるまでの道のりは長い。結局相談した日から2〜3週間が経過してるが、未だピアスを開けてはいない。しかし、通常だと両耳1000ルピーほどで開けられるピアスも外国人の私が電話で値段を聞くと4000ルピーとか5000ルピーとか8000ルピーと言われる。
現地人と外国人で値段がこうも違うのか、と実感するとやはり現地人と一緒に行くことが一番ベストな選択肢であることは確かなのだ。

しかも、一緒に行こうと言ってくれるならまだしも、私が行きたいと思ったお店や場所について聞いた時に「なんで?」とか「必要ない」と言われることもあり、すんなりと情報が手に入ることは殆どない。

私は早速、ホストマザーに近所で良い仕立て屋さんはあるか聞いてみたら「サリーを着たいなら、私のサリーを使いなさい」と返答があった。違う、そうじゃない。その後も何度か再チャレンジしてみたが、ホストマザーの「私のサリーを着なさい」主張は曲がることがなかった。その為、ホストマザーは諦めて、最終的に家族ぐるみで仲良くしてもらっている同年代の現地人に聞くことになった。

初めてサリーを買って、1人で着た話 参照

ぶっちゃけGoogleマップで調べればお店の良し悪しは分からないにせよピアスだって開けられるし、仕立て屋さんだって見付けることが出来る。その時に通常価格より高く言われることはあるが、誰かの手を借りて行く時との時間を考えると、一人で行くときの方がよっぽど早い。

1人で行けば早く行ける。
みんなで行けば遠くに行ける。

大学時代の恩師の言葉を思い出して、上手く言ったもんだなぁ~と感じる。ぶっちゃけ私は、早く行けるからこそ1人で行くのが好きだったし、皆で行くことは必要最低限に留めたい人間だった。しかし、もうこの辺りが1人で動くことの限界なような気がしてならない。たぶん、今までも1人で生きてこれたような気になっていただけだと思う。それでも今まで以上に、ここ(スリランカ)では1人で生きることが難しい。

これは「私」と「あなた」ではなく、「私達」と「そうでないもの」の世界線だからなのか?とにかく外国人の私1人では何をするにしても基本上手くいかなくて、ザラザラした手触りやすり傷ばっかり作っている感じもある。常に物事の思考や根本的や概念が違うのだと思わされる日々だ。そもそも、それについて今の自分が考えることは無駄なんじゃないか?と感じるぐらい、今の世界には自分が持っているものでは太刀打ち出来ない感覚がある。

ついヤキモキして、自分の細胞が1個づつベッドに溶けていく想像をするのだが、それさえも大音量のバスのクラクションによって中断され、現実に引き戻される始末。すごいなぁ…本当に生かすも殺すも許されない感じ。
でも、そんな世界にもそろそろ諦めもついてきたのか、バスでお釣りを誤魔化されても何も考えずに「違うよね?お釣りは50ルピーだよ」と大きい声で言うようになってた。スリランカに来て早2ヶ月、ちょっとは強くなったんだと思う。

100円からサポートを受け付けております。こちらの記事が気に入った方は、サポートして頂けると幸いです。よろしくお願いします!