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ここ最近あった職場トラブル

※セクハラ関連の話になるので、苦手な方はご遠慮ください。

今までもポツポツ職場で面倒だと思うことや嫌だなと思うことがあったが、5月に入って過去一に大きいトラブルが発生した。このこともあってかなり精神的にも落ち込んでいたのだが、それに付随するかのように芋ずる式に周囲のスリランカ人と衝突しているのが現在だ。
とは言え、今ではだいぶこの件について淡々と語れるぐらい落ち着いてきたので、せっかくなら記録としても残そうと思い、noteを書く。

男子学生とのトラブル

ある晴れやかな5月某日。丁度お昼休みの時間に仲良しのグラフィックミスとお昼ご飯を食べるために手を洗いに教室を出て廊下を歩いていた。すると、グラフィックミスは誰かに声を掛けられたようで、私が先に1人で手洗い場に向かう形になっていた。それからたぶん30秒も経っていないと思う。ちょうど廊下を一人で歩いていた瞬間に1人の男子生徒から壁ドンをされる形で覆いかぶさられた。

イメージ図(実際は両手で)

その瞬間、大きな声で「エパー!(やめて)」と言ったら男子生徒はすぐにやめた。しかし彼はそれと同時に「カランネ ネー(やってない)」と言った。その瞬間、私はもうこの男子生徒を信じられないと思った。何故なら、第一声が「ごめんなさい」でもなく「やってない」なのだから。恐らく、彼は許されたと思ったらもう一度やってくるに違いないと感じたのだ。

私はその後、すぐそばにいたグラフィックミスに起きたことを話した。そして、その男子学生がグラフィッククラスの生徒であったこともあり、すぐにミスからその男子学生を含む数名のグループに叱ってくれた。グラフィックミスはかなり真剣に注意をしてくれたお陰もあって、彼らは罰の悪そうな顔をして「sorry」と私に謝って来た。

正直、他の人から見たらこれで一件落着だったのかもしれない。しかし、何度考えても、最初の「カランネ ネー(やってない)」が引っかかって気持ちがスッキリしない。
というか、そもそも生徒という立場で一応講師でもある人間に、そんなことをしてはいけない。これは年齢や立場における上下関係が厳しいスリランカにおいても至極当たり前のことである。ではなぜ発生したのか?私が外国人で、何してもいいと思っていたからだろう。

そういう風に思ってしまうと、もう周囲のスリランカ人全員が敵に見えてくる。結局その日は授業の終わりまでグラフィッククラスにいることが出来ず、途中で帰ってしまった。
帰宅後、そそくさとシャワーを浴びて、布団にくるまっていると何度も今日のことを思い出しては泣いていた。どうしても生徒に舐められちゃう悔しさと許せない気持ちとやるせなさと、色んな感情がぐちゃぐちゃになって、ただひたすら泣き続けていた。

しかし、時間が経てば、多少は落ち着くもので、冬眠から覚めたクマのようにのそのそリビングに行ってはご飯を食べた。その時、近くにいたホストマザーに「若い男の子は女の子に気軽にボディタッチするものなの?」と聞いた。ホストマザーはすかさず「エイ?(なんで?)」と聞いてきたので、今日あった出来事を話した。ホストマザーは最初、驚いた顔をした。そして「それは学生が講師に対してやることではないわ。」と言った。その後も、「その生徒は誰?明日、私も講師に対して触れてはいけない、と生徒に話すわ。」と言う。(ちなみにホストマザーは同じ職場の別部署にいる人)続けて「あなたはまだ1年半、ここで仕事をする必要がある。私は明日、生徒にしっかり言っておくから、あなたはいつも通り仕事をしたらいい。だから、全部忘れて、明日からまた新しい気持ちで仕事をしなさい」と言われた。
言葉だけ取れば、それはとても有難い提案である。しかし、私はこの時「言うだけで終わりなの?」とモヤモヤした気持ちが残った。何故なら、スリランカの「言う」「言った」は本当に言っただけだからだ。では何をして欲しいのかと言われると、別に何をして欲しいわけでもなかった。ただ、私は該当生徒を絶対に許さない気持ちと、もっと重大な問題として周囲の人に考えて欲しかっただけなのだと思う。

結局、それから私は職場を休みがちになり、ほぼ1週間は出勤ボイコット状態であった。その時は、別に何が問題とかでもなく、とにかく自分の気が済むまで休んだらいいぐらいに考えていた。
その後、私の結論として該当学生がいるグラフィッククラスには今期のカリキュラムが終わるまで行かないことを伝えて、出勤を徐々に再開させた。しかし、それを聞いたグラフィックミスは一番仲良くしていた先生だっただけに、電話でも号泣していた。そりゃそうだ、彼女は関係ないのだもの。

話の伝わらなさ、気持ちの伝わらなさ

これは、昨今セクハラ関係の被害にあう人が感じていることであると思うが、時々自分だけがムキになって戦っているように思う瞬間がある。周囲に自分の話を共感して聞いてくれる人がいるだけでも有難いのだが、残念ながら世の中はそんなに素敵ではない。スリランカの人達だけではなく、日本人相手でも、本当に伝わらない人は伝わらない。ある人は、ただ自分が廊下を歩いていた時に発生したトラブルであったことに単純に驚いていた。(何かしらの理由があると彼は考えていたから)ある人は「これから何をやれば気が晴れそう?」と聞いてきたりする。(その時は即答で「気が晴れることなんてない」と答えていた)
正直、私はそういう人たちを責めたい訳でもない。何故なら、本当に経験がないからこそ、そのような発言になってしまうことが多いからだ。だからと言って、そういう想像力の無さを認めている訳ではない。

とは言え、自分は自分の抱えている気持ちや事の重大性を皆に知って欲しいだけなのに、それを伝えようとすればするほど、孤立感が強くなる。正直、セクハラ関連の話って、その瞬間以上にその後の方がダメージが大きいように思えた。(もちろん状況にもよりけりで、一概に言えることではない)

あの瞬間、男子学生は遊びでやってだけのことだったかもしれない。しかし、その結果として全然出勤出来なくなったし、グラフィックミスから盛大に祝ってもらったお誕生日は全然嬉しくなかった。こんなこと、もう人生の中で経験できないんじゃないかってぐらい、盛大な祝い方をされているにも関わらず、私はその場にいることすらしんどかったのだ。
私があの時、1人で歩いていなければ。ちょっとお昼休憩の時間をずらしていれば。男子生徒があんなことさえしなければ…。いくらでも思いつくタラレバを並べては、自分が大切にしたかったものを一瞬で壊した彼の行為が本当に許せなかった。

正直、この気持ちはいつまで経っても忘れないと思うし、許せない気持ちはずっと残っていると思う。しかし、これらに抵抗しようとすればするほど、自分の気持ちだけがどんどん傷ついていく感じがして、どこかで踏ん切りを付けないとと思ったりする。(あ、今ここで一瞬安心したでしょ?)

本当に救いようのない話だと思う。
今度から生徒に舐められないように、日本に帰ったら全頭ブリーチでもしようかと、真剣に考える。

(つづく)

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