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誕生日ケーキ事件

昨今、様々なトラブル?に見舞われており、メンタル的にも少し弱ってしまったせいか、部屋に引き籠る時間が増えていた。しかし、授業がないからって出勤ボイコットをし続けるのは良くない。少しの時間でも良いから、外に出つつ、時が解決するのを待つしかない。

久しぶりに職場に出勤したら、仲良しのグラフィックミスが「あなたへの誕生日プレゼントはまだあったのよ」と言って、大きな額縁に二人で撮った写真が沢山コラージュされた写真をくれた。まずはその大きさにビックリしたのだが、ミスがその写真を見ながら全部の思い出について楽し気に説明してきた。それを見た私は「私はグラフィックミスからとんでもない愛情を注がれているなぁ」と確信し、今までの色んなトラブルも吹っ飛んで、とにかく嬉しい気持ちになった。

人が嬉しい気持ちになったらやることは一つだ。私はとにかく色んな人にその額縁を見せまくった。職場はもちろんのこと、家に帰ってもホストマザーに「見て見て」と言ってグラフィックミスからの額縁を見せた。すると、それを見たホストマザーは「オヤーホンダネー(あなたは良くない)」と言ってきた。

ホストマザー曰く、あなたはグラフィックミスにとても愛されているのに、誕生日ケーキをあげてないなんて信じられないとのこと。(グラフィックミスからはホールケーキを貰ったので、それを一緒に食べた)そして立て続けに「あなたはお誕生日にグラフィックミスや私たち家族にケーキをあげなかった。ウェラディ。(悪い) ケーキをくれなかったから私たちはとても悲しい、フレンドシップがないってことよ」と言われた。そもそも誕生日ケーキにそこまでの意味があるとは知らなかったので「私はその習慣を知らなかった、ごめんなさい」と言うと、すぐにホストマザーは「ハー」と若干納得したかのように言った。
その時、ここ最近のホストマザーのよそよそしさの原因が分かった気がした。たぶん、彼女は私が「カターカランナ エパー(喋らないで)」と言ったことではなく、誕生日ケーキをくれなかったことが原因でよそよそしくなっていたのだ。

正直、ホストマザーの話を聞いていた時は「そんなことってある?」という驚きの気持ちしかなかった。何故なら、誕生日の日に職場にケーキを持っていくことは知っていたが、ケーキをあげる行為がどんだけ重要かなんて、誰も教えてくれなかったからだ。だからこそ、今回はしょうがない部分があったのだと思う。

しかしだ、私は以前「誕生日ケーキは皆に配る必要があるのか?」とホストマザーに聞いた時に「オーネネー(必要ない) ケメティナン デンナ(好きならあげなさい)」と言った。だからこそ、誕生日ケーキを配る習慣って比較的ゆるいもんなんだと勘違いしていたのだ。

最早、ここまで来ると完全に愚痴になってしまうのだが、私が日本に帰るってなると「緑茶が欲しい」「日本から車を持ってきてほしい」とか普段から色々言ってくるくせに、なんでそんな重要なことを言わないのか?つくづく現地の人の言葉は鵜呑みにし過ぎない方が良いのだと思わされる。

というか、ホストマザーに至っては、誕生日の日にホストマザーがいる部署まで行って「ケーキをあげます」って言ったのに、自分から「カマックネー(大丈夫)」って言った。しかし、あとから「私たちはケーキをもらえなくて悲しい」なんて、よく言えるものだ。本当に現地人の言葉はテキトーなことが多い。ていうか、ほぼ言いがかりみたいなもんだ。

もっと言うと、スリランカのケーキ配り文化なんて、万国共通じゃないってことをスリランカ人はもっと知るべきだと思うし、貰えないことがそんなに悲しいなら、もっと重要性を伝えて欲しかった。「ケメティナン デンナ」だけ言って、スリランカ生活半年のペーペー外国人に期待だけするのは良くないし、そういうことを教えるのがホストファミリーってものではないのだろうか?
たぶん私自身も色々傲慢なことを言ってしまっていると思うのだが、さすがに後でケーキを貰わなかったことに関して、とやかく言われる筋合いはない。もはや怒りに身を任せて文章を書き殴ってしまったから、また読んでいる人に感情の起伏が激しいとか言われるのかもしれないけど、そんな事どうでもいいぐらい私は怒ってしまった。

いやぁ、もう本当にスリランカ来てから、感情の起伏も激しいし、口も悪くなるし、気分の浮き沈みが激しい。
スリランカに来る前に思い描いていた、毎日庭に生えているマンゴーを食べて、リスと猫とイグアナを追いかける生活には遠く及ばない。アイヨー。

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