見出し画像

サリーを着ると、みんな喜ぶ

新しいサリーをいつデビューさせようか…
いつも急にデビュー日やリリース日が決まってしまうものだから、それまで待つと言っても、それがいつになるのか分からない。そこで、ちょっと気の抜けそうな木曜日に(気合を入れるためにも)新しいサリーを着て、職場に出勤した。

家を出て、バスを乗るまでに横断歩道がある。わりと交通量が多めの道路で、中々タイミングが合わないと横断できない。しかし、今日は違った。私が横断歩道を渡ろうとした瞬間に近くのスリーウィラーが止まってくれて、それに続いて皆止まってくれた。何という…。これがサリーの効果なのだろうか?

職場に到着すると、何人かの同僚から「ラッサナイ(綺麗)」と言われる。これは正直、想定内で「ありがとう~」と言いながらサリー話に花を咲かせる。その後、私がサポートで入っている教室に向かう。そこには20人ほどの生徒がいるのだが、今日は皆が私を見るなりニコニコしていた。そして私が近くに来た時に「ラッサナイ(綺麗)」と言われたり、わざわざ私を読んで「アダ ラッサナイ(今日は綺麗)」と言ってくれた。ここまで来ると、サリー効果に驚きを隠せない。

しかし、驚きはこれで終わらなかった。授業時間内にそれぞれの課題をこなす時間がある。生徒たちは課題をやっているので、私は特に教えることもなく、課題の進捗を見て回ったり、他の授業の内容について考えたりする。その時にクラスで一番出来の良い女の子と目が合った。彼女からそんなに近くもない距離に私はいたのだが、彼女は自分の席から私に対して手でハートマークを作った。

こんな感じのハートマークだった

確かに、彼女とは授業を通じて何度か話したことがあるけど、ハートマークを作るほど、仲良しになった覚えはない。となると、今日のサリーがよっぽど気に入ったのだろうか?そう考えると、サリー効果は凄まじい。

日本人からすると、着物を着ている外国人は凄いと思っても、めちゃくちゃ綺麗~と思うことは、そんなにない。だからこそ、現地の人が私のサリー姿を見て「キレイ~」「キレイ~」と言うのは、ちょっと私たちと違う感覚なのだろうと思う。

現地の人は特に肌が白いことに強い憧れがあるようで、だいたいサリーを着ると「ラッサナイ(綺麗)」と言われた後に「スドゥイ(白い)」と言われる。たぶん、それぐらい白いのが珍しくて綺麗という価値観と結び付いているのだろう。

とは言え、私は「綺麗、白い」と言われると、どこか好奇な目で見られてると思ってしまう所がある。だからこそ肌はなるべく隠したいし、サリーでもお腹は絶対見せたくないって思ってしまう。
なんというか、自分がコンテンツとして消費されるのを避けたいと思ってる節があるからだ。しかし、そうは言っても肌の色が違う外国人としてスリランカにいる時点で、コンテンツとして利用されたり、ある種そういう動き方をせざる負えないこともある。ぶっちゃけ避けては通れないと思うからこそ、コンテンツになることを100%楽しんでしまう方が良いのかもしれない。誰だっけ?狂ってしまった方が人生は楽だって言った人は。

100円からサポートを受け付けております。こちらの記事が気に入った方は、サポートして頂けると幸いです。よろしくお願いします!