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小さな反抗

スリランカの職場で仕事を始めて早3か月。
最近は一緒に仕事を進めている同僚が連れてくる子どもが鬱陶しく思えてきた。

彼女の子どもは5歳の男の子。最初こそ、見慣れない外国人に対して同僚の後ろからジッと観察されるだけであった。しかし、最近は「ハロー」と挨拶されたり、帰り際に「バーイ」と言われるようになったりと、少しずつ会話をするようになっていた。
しかし、最近はそのような慣れもあってか、遊んで欲しい・かまって欲しい時の当たりが強くなっている。例えば、私のカバンをドライバーで傷付ける、PC作業中にキーボードを触ってくるなど…。5歳児の行動にしては、少し度が過ぎているように感じていたのだ。

同僚も私と同様に仕事中なので、あまり自分の子どもを構っていられない。彼はそのことを知っているのか、恐らく構ってもらえるであろう私にちょっかいを掛けてくる。
だから、彼自身が相手にしてもらえない、と私に対して思ったら、ちょっかいも少なくなると考え、同僚が子どもを連れて来た時には違う場所で仕事をするなどして意識的に距離を取っていた。

そもそも、こういう時って親が対処するはずなのに、何で目の前で私のカバンをドライバーで傷付けていた時に「エパー」の一言で終わってしまうのか。(しかも、私が大きい声でエパーと言ってからの話である)
日本でも人の子どもに怒るべきかどうか、悩む人もいるが、私も完全に外国人の子ども相手にどれだけ怒るべきなのか・もしくは全く怒らないのか、分からずムズムズしている。

そんな時、いつものように私が教室で授業をしていた。そして同僚とその子どもは隣の休憩室のような場所でお昼ご飯を食べていた。隣の休憩室はICTクラスの講師が荷物を置いたり、ご飯を食べたりするときに使うので、ドアは開けっ放しである。ドアは開けっ放しなので、もちろん隣の部屋の音は多少聞こえる。
そこで私が生徒に対して授業をしていると、隣の部屋から私が言うのに詰まってしまったシンハラ語を大きい声で復唱する子どもの声が聞こえた。まぁね、分かるよ。5歳児なら。面白いよね、外国人が話すシンハラ語って。なんか変で面白いよね。
そう思ったのも束の間、生徒の前で思わず舌打ちをしてしまい、開けっ放しになっていたドアを閉じた。その時、一緒にいた同僚がニコッと笑ったので、私も笑い返したのだが、それすらも腹立たしかった。「ああ、カルダライ(面倒)」と言ったら目の前の生徒たちは苦笑いだった。

本当に、親も親なら子も子だよ、と心の中で思いながら、その同僚が前に自分の子どもに対して「日本人みたいな間違いをするじゃん」と言ったことを思い出す。

彼女は仕事をする分には、とてもスマートでやりやすい。しかし、いわゆる言語に関することだけで言えば、嫌な思い出しかない。それが現地人の素直な評価と言ってしまえば、それまでなのかもしれない。彼女は大学卒のエリートだし、自分が頑張ってきたからこそ、いわゆる学習面とも言える言語において厳しい反応になってしまうのかもしれない。
うーん、でもさぁ、、なんてグルグル考えてしまう私だった。

しかし、今日はドアを閉めるという反抗が出来たのは、私にとって嬉しいものだった。相手はそこまで考えてないかもしれないけど、少なくとも声は聞こえずらくなったし、私はイライラせずに授業をやる必要もなくなった。今まで何も出来ない、何も言い返せない(言っても何の反応もなし)だったことに比べると、自分が少し進歩?したような気分になった。

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