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第63話あとがき 知らない世界を「日常」として「経験」したい欲

最近よく1人で電車に乗ることがあり、サマセット・モームの短編集を読んでいます。
昔は毎日のように1人で電車に乗っていて、うんざりしていたのに、最近のこのひとときはなんだか妙に楽しいです。
モームの短編集がいいのかもしれません。私にとっては、昔の、海外の、文学。遠い遠い世界の話の中にじわっとした面白みを感じられて、楽しい。
電車もやっぱりいいと思います。日常と日常の隙間で別の世界に行ける感じ。目的地につけば速やかに日常に戻る。そして電車に乗って本を開いたら、またその世界が始まる。今ジム・ジャームッシュの「パターソン」という映画を思い出しています。アマプラで見れるので、ご興味のある方は見てみてください。ラストで好き嫌いが分かれそうだけど、映画の流れている時間は本当に心地良い作品です。アダム・ドライバーが日常を送りながら、頭の中だけ旅しているような情景を味わえます。
電車で本を読みながら、長らくこの時間を味わっていなかったなぁ、と思い出しました。

しかしながら毎日となるとうんざりしますよね。
この心地よさを味わうだけなら週に1回か2回の通勤で十分です。
時間もラッシュの満員電車は避けたい。
11時から12時くらいの人口密度がいいですね。
のどかな雰囲気に運ばれながら本を読む。
運ばれた先は、まあ仕事なんだけど、家計の足しにはなるかな?くらいで、読書の余韻を味わいながらでもこなせるのがいいです。
(ちなみに先述した「パターソン」の主人公パターソンは、バスの運転手でした。)
どちらが現実かなんて誰が決められるでしょうか?運ばれている時間の方が、私にとっては現実です。
ということで、非現実の世界で怒られたり貶されたりしたくないので、ありがたがられる仕事がいいですね。その世界でなぜか私だけが持っている特殊能力で、私は鼻歌でも歌いながらできることなんだけど、他の人にはとても辛い、みたいな。今私が思い出しているのは村上春樹の「世界の終わりとハードボイルドワンダーランド」です。ストーリーの記憶は朧げなのですが、あの本に出てくる図書館みたいなところでやる謎の仕事。ちょっと羨ましいな、と思った記憶があります。
毎日通勤していた頃は絶対いつか在宅ワーカーになってやると思っていたものですが、実際に在宅ワーカーを数年やると通勤を夢見てしまうのかしら。どんな日常も毎日続くと苦行味が少し湧くものなんでしょう。年末あたりから、実際に「週1くらいで絵以外の仕事したいな」と頭の中にぼんやり浮かんでいました。この私が、通勤したいだなんて!
これは最近読んだ吉川浩満さんの「哲学の門前」も関係していそうです。本の中に出てくる著者の日常の記述がなぜだか心地よかったので。
でも私がやりたい週1の仕事って上記のようなやつです。宝くじレベルの妄想でしたね。週1で、遅い出勤でよくて、私しかできない有り難がられる楽な仕事。宝くじに当たるより「ない」かも知れないけど、当たったらどうするか妄想するのと同じくらい、楽しい妄想でした。
ところで、この妄想が楽しいということは何か欲望があるってことですよね。「新しい体験をしたい」っていう欲求はあまりないんですが、「知らない世界を『日常』として『経験』したい」という欲求があるような気がします。
簡単にいうと経験値を増やしたいのかな?
作品を作るとき、自分の持っている経験値を消費しているのかもしれません。ということは、私の通勤したい欲ってつまり、私の経験値が枯渇してきているということでしょうか?作家生命が脅かされる大問題なのでは?
いや、ここは妄想力が試されているのかもしれません。
妄想を現実と信じ込ませて非現実を乗り切るべく、今年も頑張ります。

あとがきに行きましょう。

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