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書店員所感

私の他の家族が二人とも寝てしまったので、久しぶりにお酒を飲みながら文章でも書きたいな、という気持ちになった。昔はよくお酒を飲みながら文章を書いていた。私は漫画もあまり読まないし、ドラマも見ないし、映画は好きだけど一人で検索してまでは観ないし、本は今停滞中で、コンテンツ摂取に非常に消極的だ。だけど、突然目の前に用意された自由時間に何をしようかと考えると、お酒を飲みながら文章を書きたくなる人間なのだ。書きたいことが溢れてくるわけでは無いけど、なんか書く。私は本業は漫画家で、でも書店員もやっているのだけど、世の中には実用書がとても多く、そしてみんなよく実用書を買っていく。レジを打ちながら、「これからこの人はこの勉強をするんだな」とか思う。気が遠くなるほどたくさんの教科書や参考書を買っていく人もいる。何十冊もドリルを買っていく親子もいる。老いていく心得を学ぼうとする老人もいる。億り人になりたい人もいる。栄養士になりたい人、自動車免許をとりたい人、二桁の掛け算を暗算したい人、本当に体にいいものを知りたい人……、何かを知りたいと思う人をいってらっしゃいと送り出す。と書くと格好つけすぎだな。時給千円ちょっとのただのパートです。本の代金は書店の売り上げで、私が頂くわけでは無いのに。何かちょっと書店のレジ業務というのは、浴びるものがあるな、と思う。お金以外の何かを頂いているような気がする。ちょっと刺激が強い気さえする。こんなにも人は知りたいのか!!と戦くわけでは無いけど、なんというか本当、気が遠くなる。いやわかっている。私はその人の人生のやる気に満ちた一部分だけを浴びているのだ。だらだらとした部分もきっとあるよね。本を買っていくときって、なんかみんな誇らしいよね。清々しい気持ちだよ。これから自分は新しくなれそうな気がするよ。でもその先に新品のまま埃をかぶっていく教科書があったり、真ん中あたりから進まない栞があったりするんだろう。ボロボロになるまで読み込まれる本もあれば、古本屋を転々とする本もあるだろう。どうなるかは知らない。けど本を買う瞬間のエネルギーみたいなものは、あるんじゃないかしら。そして書店員はそれを受け取る存在なんじゃないかしら。そんな中で私の書く文章というものはとてもヒヨワだと思う。視界に入れてもらえるだけで十分だと思う。とはいえ野心もあるし、私は過去に二度、私が文章を書くのと同じ感じだ!と思う他人の文章を読んだことがある。この人、私じゃない?と感じたことがある。世界に何人かいる自分のそっくりさんのうちの二人なんじゃないだろうか?でもそういう人の文章を書店で狙い撃ちして探せるわけではなく、唐突に出会うしかない。私の文章とも、誰か出会ってくれると嬉しい。ビールがなくなったので寝ます。おやすみ。

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