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第84話あとがき 言語化は負の感情に対して行うのがいいと思う

何かと忙しい12月になりましたね。
書店でも大忙しです。クリスマスプレゼントに本を贈る人がこんなにいるんだなと日々驚いています。人に本を贈るってあんまりやったことないけど、選ぶのは楽しそうだな、とか想像しました。
ところで我が家のサンタ業は実はもう終了しています。
先日夫が娘に
「なんかサンタさん忙しいらしいから、今日代わりに買いに行く?」
と言って、プレゼントがもらえるなら、サンタさんからであろうとなかろうとどっちでもいい娘は二つ返事で
「行く」
と言って、トイザらスでシルバニアの「赤い屋根の大きなお家」と家具などを買い揃えて帰ってきました。
娘はその後
「あ、じゃあサンタさんにクッキーあげられないってこと?」
と言ってたので、
「プレゼントはもうあるけど、一応クリスマスに置いとく?」
と提案しました。
サンタさんの存在ってなんだろうね。
うちはサンタさんについて夢を持たせるようなことを全く積極的に行ってきてないのだけど、ちゃんと社会全体のムードを知ってる。娘が娘の社会で信じられているように信じているので、親もそれに少し話を合わせてはいるのだけど、大体毎年上記のような感じで、トイザらスで買っちゃう。
クリスマスの朝に
「サンタさんからプレゼントもらった」
という友達の話を聞いたりもするんだろうと思うと、「うちには来なかったな…」と思わせてしまうようで心苦しくもありますが、かといって娘がそれとなくわかるまで毎年サンタ業を完遂できる気がしない…し、そろそろ薄々気づく頃だとも思います。
でもなんだろう、それ。子どもがワクワクして喜ぶ顔を見たい、という文化なのかしら。ある程度の年齢になってそれとなく、どこまで認識しているのかを探り合って、ああ、大人になったな、と確かめる文化なのか?あるいは、完全に気がついた時に、子どもが「親はこれだけの労力を自分に割いてくれたんだ」と感謝するシステム?とここまでいうと私がサンタ業文化に反対しているように聞こえるかもしれませんが、決してそういう確固たる気持ちがあるわけでもありません。
日本の伝統文化のお祭りだって、「〜〜のように信じられている」とか「〜〜を願う」とかそういう文化なんですよね。ここまで世界中に浸透しているのだから、サンタ業もそいういう文化の一つとしていいんだろうと思うんですが、うーん、なんだろ、やっぱなんかテンション上がらない。お祭りは、「〜〜と信じられて」いたり「〜〜を願われ」ていたりするけど、それがそういうものだと全員認識している。「信じられている」というけど「信じている」ではない……
あ、やっぱ私サンタ業に反対なのかな?子どもを子ども扱いしているというか、「親の想定通りに反応する子どもの顔が見たい」という親をやらせられている気がしてテンション上がらないのかもしれないです。私は子どもに期待したくないという気持ちが強すぎるのかもしれないな。
でも一方で娘は割と夢見がちなところがあるので、サンタ業をしっかりこなせば、めちゃくちゃいいリアクションしてくれそうなタイプではあります…
ああああああ、でもやっぱりそれを見て心底喜べないだろうな…という気がしました、今。
遊園地でソフトクリームを買ってもらって大喜びで、はしゃいで、転んで、ソフトクリームを地面に落としてしまった子どもを見る時のような気持ちに近い。
苦手なんですよね、期待が裏切られることが。見たくない。
そうか、サンタ業に反対なのではなく、苦手なんだな、私。サンタさんに期待する娘を見ると、期待が裏切られるシーンを想像してしまってノれないんですね。私のサンタ業にテンション上がらない問題の謎が解けました。や、本当に毎年なんなんだろうな、これ?と思っていたので、超スッキリです。

まあ、苦手とわかれば私の問題なので、苦手なりにどこかに折り合いをつけながらやっていこうと思います。言語化するって大事ね。特に負の感情に対して行うのがいいような気がしますね。
とりあえず「いい子にしないとサンタさんからプレゼントもらえないよ」砲は我が家では封印だな。そこだけ頼っちゃうのは虫が良すぎるもんね。あんまり言ったことないけど。無意識にサンタさんに期待させたくなかったのかもしれなです。

ははは、書きながら考えてしまった。
お付き合いいただきありがとうございます。
あとがきにいきましょうか。

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