茶道と窯元巡り 続き

茶道の続 窯元巡り(韓国、台湾)
 永年、茶道携わると焼き物特に茶陶との関わりが深くなる。茶陶の世界では俗に「一楽二萩三唐津」と言うが、楽は別にして萩も唐津もまた五~六番目にランクされる高取、鍋島、伊万里も福岡市内から片道2~3時間で十分に行ける地の利に恵まれて、大半の窯元を訪ねられた幸せを感謝している。
 話変わるが、昭和50年代の頃に渡辺通りの九電ビルの中に高麗青磁と韓国の焼き物を専門に扱う「徳和堂」という陶磁器店があった。私は青磁の色の美しさに魅せられて、よくショウインドウの前に立ち尽くしていた。
ある時、一大決心して清水の舞台から飛び降りる心地で大枚をはたき韓国の人間文化財柳海剛氏の青磁抹茶茶碗を買った。青磁の翠色と繊細な線彫り亀甲文の美しさに魅了されたからである。その縁で店主とも親しくなり、韓国利川(リセン)にある窯元見学を勧められた。心は動くが、女一人で店主の買い付けに同行するのもはばかられて‥、ツアーをつくることを思いついた。
 早速、その頃師事していた森高先生に相談、或る人数の参加が見込めたので(最終的に22名)、旅行社に相談「韓国茶陶の旅 3泊4日」を計画した。
内容は窯元見学が利川では上記の柳窯と日本で著名な池窯の他と慶州の新羅土器窯1、博物館3(ソウル、慶州、光州)見学と若干の観光である。福岡からソウルに飛び、観光バスで見学・観光しつつ南下、釜山から空路で帰国する。
 利川ではご高齢の柳海剛氏(1894生まれ)がご令息(後の2代目~)と共に迎えて下さった。そして我々の目の前で技を実演して下さった。彫刻刀を手に施釉前の小壺を取り上げて膝の上でクルリクルリと回しながら線彫りの模様を彫っていかれます。見本もなく一周し起点と終点がピタリと合います。

人間文化財 柳海剛氏


素晴らしい稀有な技を皆で息つめて拝見、言葉もなく感動のため息を漏らす私たちに、人間文化財氏は無言で優しい笑顔を向けておられます。素晴らしい技を見せていただきました。フーッと再度のタメ息と一緒に皆パチパチ。
お礼に私たちも持参の抹茶とお菓子で一服差し上げました。大きな登り窯のある工房と展示室はご令息と徳和堂主人が案内して下さいました。帰り際に、ご挨拶をと、部屋をのぞくと私たち持参の干菓子を独りでほお張っておられて照れ笑い‥。気に入って頂けたらしい、安堵と一緒にお年寄りらしい、可愛らしいナの思いがこみ上げました。私も緊張が解けたのでしょう。
その後、利川の街をそぞろ歩いて、しっかり買物しました。品物選びや桐箱や日本への発送は徳和堂さんが一手に引き受けて下さり助かりました。夕方、「所用は今から」という徳和堂さんと別れソウルに向けて出発しました。

 あと私の印象に残ったことは旅の途中で「米韓合同軍事演習」遭遇したことでしょうか。鉄兜をかぶり、銃剣を手にした兵士を満載した軍用トラックが行き交う道の片隅をバスで恐る恐る通りりました。あんなに大勢の兵士を見たのは久しぶりでした。
(1985.3.24~27)
 
 
 私がこんな大変を引き受けてツアーの企画から添乗員まがいのお世話までしたのは、光州博物館にぜひ行きたいという私の個人的事情があったからである。
 それは韓国訪問のさらに10年位前、まだ私は40代初めだったが、知り合いの骨董商から内々で聞いていた。韓国の沖合に古い貿易船が沈んでいるらしい。そこから流れ出すお宝(舶載品)浜辺に打ち上げられて、漁師から闇ブローカーの手を経て日本に流れているらしい。漁師のいいアルバイトらしいとも。
 その後、韓国の国が直々に乗り出して調査、その沈没船は13Ⅽ頃の日宋貿易船で、舶載する膨大な文物を国の手で海底から引き揚げ、塩抜きして、韓国は博物館(光州~)まで建てて収蔵・展示した、と聞いている。
日本でも「中世からのタイムカプセル」と評判になり、東京・名古屋・福岡で展覧会が開催された。”青磁・白磁の国宝級陶磁器ぞくぞく“の見出しが効いたか、それなりの見学者がいた。私も福岡の大濠会場に出かけている。
処が韓国ではどうだろう。光州に入っても誰も博物館の所在を知らない。バスの運転手とガイドが必死で尋ね廻り、やっと連れて行ってくれたが、今度は見学者は我々だけ。建物は立派だが、あんなに森閑、冷え冷えとした博物館は初めてで、忘れられない。30年以上も過ぎた今は違っていることを望む・・。
 新安沖の古陶磁器について、私にはもう一つ思い出がある。韓国訪問の遥か昔のこと、お茶のお稽古仲間の奥様が「出入りの骨董屋に勧められて買った。菓子鉢に使いたいが色が合わない」と深皿を教場に持って来られた。
 骨董屋は“中国の古いもの”を強調したと言われたが、濃い灰色に碧とも灰色とも見える複雑な色合いの皿に合いそうな菓子を思いつかず稽古仲間で喧々諤々、とうとう先生が「まっ白い上用饅頭はどうでしょう」そのとき私も一瞬ひらめいた言葉を口にした「ざっくりした鹿児島のかるかんは?」すると皿の持ち主の奥さんがのたもうた。「ナニ白いもの? ナラ酒饅頭も白ならよございますか?こりゃあ安うして助かります」皆で大笑いしたことがある。
 それから20ウン年後、光州博物館で酒饅頭を入れるに良いと茶仲間と笑い合った菓子鉢に極似した色合いの陶磁器がたくさん展示されているのを、この目で確かめて、アアやっぱりそうだったのかと至極納得した。そう、あの菓子鉢は(法整備の方が遅れていたから仕方がないとはいえ)、本来は盗掘品と同じ扱いのシロモノだったのだと。やっとハッキリわかった。 
 
 
台湾故宮博物院見学と圓山大飯店に泊まる旅3泊4日」1686.3.25~28
 昨年の韓国旅行の時、私が「台湾の故宮博物院の焼き物もすばらしいわ」と、漏らしたばかりに、翌年は台湾旅行も計画する羽目になった。私は台湾はすでに2回訪れているが、故宮博物院はせめて1日かけてゆっくり見たいもの、また高台に聳え立つきらびやかな宮殿建築のグランドホテル圓山大飯店、ここは世界10大ホテルの一つにランクされるという超高級ホテルである。かねてから1度は泊まりたいと憧れていた。
だから今回はお勉強は(1日目の故宮、3日目午前の国立博物館)2か所と少なくし、後は全て自由行動にした。特に2日目の終日自由行動は近場の観光地を日帰りできる。私は終日故宮に通えるし、私の意向で仲間を縛らなくていい。浮いたお金はホテル代に投入すれば皆が助かる。しかしこれは親日感情が確別に良い台湾だからできたことだと思う。私が放り出しても町で出会う誰かが親切に面倒見てくれるだろう、この安心感が何より嬉しいから。
さて、私が憧れ泊まりたかった圓山大飯店、先ずロビーの広さと豪華さに驚かされた。至るところに大理石が使われていた。各室も広々とし、調度品からベッドに至るまで紫檀製は驚きだった。ベランダからの眺望も素晴らしかった。ただ難を言えば、掃除とサービスだけは中国的というか、日本人感覚からすればイマイチの感がした。地下のショッピング街のぞいたが、素敵なアクセサリー類がそこそこの値段でたくさん有り、ついつい財布の紐を緩めてしまった。
楽しく充実した旅でした。

圓山大飯店

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