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クリスマスが軽薄でも、軽薄じゃなくても

今から3年前、2018年クリスマス。ぼくはロンドンにいた。

何もクリスマスの時期を狙って、ロンドンへ行ったわけではない。ヨーロッパを北から南まで一人で縦断しようと思い、アイルランドを出発して2カ国目がイギリスだった。つまりたまたま12月25日の週を、初めて訪れたロンドンで過ごしたわけだ。

日本にいるときも、クリスマスだからと特別に何かやった覚えはない。ロンドンであろうが(それが北京やジャカルタであろうが)、特に変わりなく過ごすつもりだった。

クリスマスと聞いて頭に思い浮かぶのは、街のイルミネーションだ。金と銀の飾りがついた、百貨店のセールの看板。ファーストフードの軒先で売られる、フライドチキンやケーキ。商店街のガラポン抽選。

ぼくが抱くクリスマスとは要するに、「消費を喚起する軽薄なイベント」である。ロンドンもまた、日本と同じような雰囲気だろうと思っていた。

ロンドンでのクリスマス当日の朝、宿泊していたB&B(小規模宿舎)のラウンジへコーヒーを飲みに行った。泊まっていたB&Bは広大な公園のなかにあり、何棟にもまたがって宿泊施設が建てられている。一度に、数百人は泊まれそうな大きさである。ラウンジもまた、小学校の体育館くらい広い。

空いていたテーブル席でコーヒーを飲んでいると、隣に20代くらいの東洋人の女の子4人が座った。観光で来ているらしく、テーブルの中央にガイドブックを広げている。4人で「今日1日をどう過ごすか」と、重大な議題を話し合っていた。

その会話を聞くともなく聞いていると、すぐに彼女たちが日本人だとわかった。アクセントから察するに、関西の人たちのようだ。

まったく見知らぬ土地で、偶然にも関西訛りの日本語を耳にしたのだ。何とも言えず、郷愁の思いがこみ上げてきた。彼女たちは繁華街のピカデリーサーカス辺りへ行くらしく、めぼしい雑貨店やカフェについて真剣に話し合っていた。

コーヒーをゆっくり飲むうち、いつしか彼女たちはラウンジからいなくなっていた。時刻は、すでにお昼近く。「食事がてら外へ出よう」とぼくも出かけることにした。せっかくだからピカデリーサーカスあたりまで、クリスマスの様子を見に行ってみようと思ったのだ。

B&Bから地下鉄の駅までは、徒歩10分くらいだった。ヨーロッパの冬らしい、とても寒い日だった。地下鉄まで白い息を吐きながら歩いていくと、ゲートが閉鎖されているのがわかった。

「地下鉄が閉鎖されている?ストライキでもあったのか」と驚いてスマホでニュースを調べた。しかし、それといった情報は出てこない。さらに「ロンドン クリスマス」などで検索し、ようやく事態を理解した。クリスマスには、ロンドンの店という店が休業するのだ。それだけならまだしも、地下鉄まで運休するらしい。

「地下鉄まで休むのか…」。閉鎖した地下鉄の駅を見ることで、ロンドン市民にとってクリスマスがどれほど重要なイベントかを理解した。「日本のクリスマスと同じ感じだろう」と思った自分がばかだった。軽薄なのは誰あろう、思慮の浅い自分だったのだ。

状況がわかったのはよいが、朝からコーヒーだけで何も口に入れていない。「いくらなんでも、本当にすべての店が休業ではないだろう」と周辺の大通りを歩いてみる。しかし歩けども歩けども、開いている飲食店や食料品店は見当たらなかった。本当にあらゆる店が休業しているのだ。

ひとつだけ開いている店舗を見つけたが、店内は中東系の人たちであふれんばかりだった。どうやらイスラム系の飲食店は、やっているところもあるらしい。「入るかどうしようか…」と悩んでみるが、中近東の人たちで賑わっている店内に入る勇気が出ない。

行くあてがなくなりB&Bのある大きな公園へ戻ると、たくさんの人がひとつの方向へ歩いているのがわかった。公園は周辺住民の生活道路になっているようだ。年配の夫婦らしきカップルや小さな子どもを連れた家族連れが、暖かい格好で重なり合って歩いている。「どこか目的地があるのだろうか」と思い、彼らの後をついていくことにした。どのみち、もう宿へ戻るくらいしかやることがないのだ。

公園を出ると、ほぼ全員が歩道を左へ曲がった。やはり目的地があるのだとついていくと、大きな教会にたどり着いた。高さ4〜5メートルはある入口扉が、開けっ放しになっている。どんどん中へ入る人たちの後について、ぼくも足を踏み入れた。

中はハリーポッターの食堂のシーンのように広く、天井が高い。長机と椅子が等間隔に並んでいて、入り口近辺には火の灯した大小のキャンドルが無数に飾られていた。

「おそらくミサが始まるのだろう。そうか、クリスマスミサだ」そう理解したぼくは、左手の後ろの椅子へ腰を下ろした。偶然ながらクリスマスミサに参加することになるとは、思いもよらなかった。本場のミサを見られるとは、ラッキーかもしれない。

ほんの数分で、ほとんどの席は埋まっていった。ぼくの周りには家族連れや男女のペアが座り、空いている席はほぼなくなった。ぼくのように、一人で来ている人は見当たらない。

しばらくすると司教と思しき人が現れ、何かを話し始めた。時折、周りの人が手を組み合わせ、お祈りをしている。ぼくも見様見真似で、同じようにお祈りをした。全員で歌う賛美歌があり、また司教らしき人が話をする。再び、全員でお祈りをした。そうして30分くらいかけて、厳かに儀式は進んでいった。子どももたくさんいたが、騒いだり大声を出す子はひとりもいなかった。

最後に司教が「メリークリスマス」と告げて、すべての儀式が終わった。すると全員が立ち上がり、周りにいる人たちと笑顔で「メリークリスマス」と握手し始めた。

「何が起こっているのか」と戸惑っていると、隣の50代くらいのマダムがぼくに握手を求めてきた。差し出された手を握り返すと、「メリークリスマス」と笑顔を向けられた。ぼくもまた、「メリークリスマス」と自然に口からこぼれた。前や後ろの席の人もぼくに笑顔を投げかけ、「メリークリスマス」と握手を求めた。同じように、ぼくも声を掛けて握手した。

「メリークリスマス」とは、なんて聞き飽きた言葉だろう。しかしこうして、誰かに向かって声に出したのは生まれて初めてかもしれない。握手を交わすうち、心が暖かくなった。

教会を後にしてから、どうしようもなく空腹なのに気がついた。時刻はもう15時を過ぎている。「このままお腹を空かせて寝るしかないか」と諦めかけたところで、開いている一軒のパブを見つけた。食料を買い損ねた人が集まっているのか、それともぼくのように観光客ばかりなのか。店内は座る場所がないくらい、混雑していた。

カウンターで、クリスマスメニューのミートパイと水を注文する。サイゼリヤのピザくらいの小さなミートパイが、約2,500円と超強気のクリスマス価格だった。それでも食事できるだけありがたい。狭いスタンドの席で一人ミートパイを食べていると、外が暗くなっているのに気づいた。

思ってみれば、日本以外の国でクリスマスを過ごしたのは初めてのことだ。地下鉄さえも閉鎖する静かな街で、見知らぬ人たちと「メリークリスマス」と握手し合った。リピート再生のジングルベルも、サンタの格好も、ガラポン抽選の音も聞こえない。ぼくの知っているクリスマスのアイコンがひとつもないのに、今では最も印象的なクリスマスになっているから不思議だ。

そう言えばラウンジでガイドブックを広げていた女の子たちは、ロンドンのクリスマスをどう過ごしただろう。ぼくと同じように閉鎖された地下鉄の駅を見て、呆然としただろうか。どの店も開いていないロンドンの街を、あてもなく歩き回っただろうか。そしてぼくと同じように、今日一日が人生で最も印象的なクリスマスになっただろうか。

軽薄であっても軽薄じゃなくても、世界中のクリスマスが良い日でありますように。メリークリスマス(握手)。

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