「アシメントリー」(作:西田夏実)

演劇集団LGBTI東京 十月一日「ゲキコミュ」朗読台本

「アシンメトリー」
作・演出:西田夏実

【出演】
飯村勇太
宇田川佳寿記

【登場人物】
兄(飯村勇太)
弟(宇田川佳寿記)


兄  僕は小さい頃から、近所に住む一人の女の子と弟の三人でよく遊んでいた。お互いのことをよく知って、それでも相手を受け入れられるという強い絆。それはとても幸せなことである。それが一番、幸せなことである。

弟  ずっと一緒にいるからこそ、喧嘩をする。その度に、より一層相手に近付いたと感じるし、同時に踏み込めない部分を知ることにもなる。けれども、そんなことは当たり前だろう。相手の全てを理解することはできない。違う人間なのだから。

兄弟の家。ダイニング。

弟  昨日は四時まで起きていた。高校生の俺がその本分を全うしていた、わけがない。買ったばかりのゲームをしていただけだ。俺は勉強が得意ではない。そういうのは兄の領分である。誰にだって得意不得意はあるのだから、勉強なんてものは兄に任せておけばいいのだ。そんなわけで、夜明けに眠った俺は、いつものように昼過ぎにダイニングに降りる。すると先に兄がいた。兄も休日は、昼前まで寝ている。それなので、こうやってダイニングで鉢合わせることはよくあることだ。

弟  「おはよ。」
兄  「……。」
弟  「どうしたの?大丈夫?具合でも悪い?」
兄  「いや、大丈夫。」
弟  「何かあった?水、飲む?」
兄  「大丈夫、気にしないで。」
弟  「でも、ほんと顔色悪いよ?」
兄  「……。」
弟  「いや、色々訊いてごめん。」
兄  「あの、さ。あいつと、別れることになったんだ。」
弟  「ああ、そうなんだ。って、え?なんで!?」
兄  「俺もまだちゃんと整理できてないんだけど。昨日さ、あいつと喧嘩したんだ。」
弟  「なんだ、そんなことか。なに?今度はどんな理由で喧嘩したの?兄貴は女心をわかってないからな。」
兄  「お前に言われたくないよ。」
弟  「そうでした、すみません。って、それはどうでもいいんだよ。で?何があったの?」
兄  「あいつの様子がおかしかったのは、前から気づいてはいたんだ。」
弟  「様子がおかしい?この間家の前で会ったけど、別に俺は変だって感じなかったよ。」
兄  「最近のことじゃなくて、ずっとなんだよ。でも気にし過ぎだろうとも思ったし、何よりそんなくだらない気持ちで束縛したくはなかった。」
弟  「束縛?」
兄  「お互いの行動を把握しようとするのは、良くないなって。」
弟  「ああ、その気持ちはわからなくもないな。」
兄  「でも、本当になんとなくだけど、あいつとの距離が近付かない感じはしてた。けど、そう感じるのは僕からは言わないようにしてた。だって、こんなに長い付き合いなのに、『今以上』っていうのはないって思ったから。」
弟  「そんなこと……。」
兄  「だけど、昨日くだらないことで喧嘩した。」
弟  「いつもくだらないじゃないか。」
兄  「その時の感情に任せて、ずっと言い出せなかったことを伝えたんだ。そうしたら、あいつ、否定しなかった。」
弟  「どういうこと?なに言ったんだよ。もったいぶるなって。」
兄  「とにかく、話して分かったのは、あいつには秘密があって、それをずっと僕に隠してたってことだ。」
弟  「秘密って、ああ、浮気とかされてたってこと?」
兄  「浮気か。そうなのかな。」
弟  「でも、そんなことするようなやつじゃないだろ。」
兄  「浮気かどうか僕にはよくわからない。よくわからなかったから、訊いてみたんだ。理解するのに時間がかかるとこもあったけど、なんとなくあいつが言おうとしていることはわかった。」
弟  「だからそれって。」
兄  「(遮って)あいつは『何とかするから。』って言っていた。だから、ちょっと気が早すぎたんだろうなって思って、心の準備を待つことにした。でも、それが勘違いだってことに気づいた。あいつはきっと、絶対に知られたくなかったことを僕に知られてしまったんだって。これ以上踏み込むなってことなんだって。」
弟  「なんかよくわからないけどさ。そんな大げさな話か?付き合ってるなら、普通に良くある揉め事じゃないの?」
兄  「だから、そういうんじゃないんだよ。お前はその場にいなかったからわからないかもしれないけど、あいつ、今までに見たことのない顔してたんだよ。怒ってた、のかな。それもよくわからないけど。」
弟  「俺には、そういう経験ないから良くわからないけどさ。とりあえず、ゆっくり休みなよ。飯食う?」
兄  「いまはいいかな。」
弟  「じゃあ部屋戻って寝た方がいいよ。貴重な休みなんだしさ。」

弟  兄が部屋に戻ってから、俺は彼女の家に行った。兄には言わずに。

彼女の家。

弟  「急にごめん、おはよ、ってもうそんな時間じゃないか。いやあ、ちょっと英語の課題で分からないとこがあってさ。そりゃあまあ、俺だって勉強することくらいあるよ。来年は受験だからさ。兄貴?いや、まだ寝てるみたいで、仕事忙しそうだし、起こすのも悪いなって。」

弟  「昨日アジカン出てたの、観た?そうか、観てないよな。俺なんかこの間買ったゲームをやる時間がやっとできたからさ、そっち優先させちゃったよ。あ、いや、勉強もちゃんとやったよ。本当だって。だから昨日寝たの四時、いや五時なんだよ。俺だってそのくらい頑張ることはあるって。」

弟  「待って。ごめん、俺もなんかいきなりは話しにくくてさ、とりあえず何も考えずに話し始めた。兄貴と、別れたんだってな。いきなり来て、しかもこんな話してごめん。俺が口出すことじゃないなって思ったんだけど、でも兄貴がかなり落ち込んでてさ。だからお前も、どうしてるかなって気になって。あ、いや、だから、俺でよければ、話聞こうかと。」

弟  彼女と兄の話はほとんど一緒だった。それと同時に、埋まらない部分が同じことにも気づいた。『違う』のではなく『空白』の部分があることに。それが何か、どうしても知りたい。俺は少し焦っていた。けれども、心と言葉は相反する。

弟  「二人の話聞いてみて、何が起きたのかなんとなく分かったよ。やっぱり、付き合ってれば良くあることだよ、すれ違いって。とかって、俺が偉そうに言えることじゃないんだけどさ。嫌いになるのが怖かった?いやいや、兄貴ほんとにひどい顔してたんだ。嫌いになるなんてそんなこと……そうじゃない?お前が怖かった?まぁ、とりあえず、一度会って話してみれば、気にしすぎだってわかるんじゃない?」

弟  けれども彼女は、一度も『会う』とは言わなかった。『もうこれ以上は無理』だと言っていた。そんな彼女の言葉で俺の中に残ったものは、兄が言っていたことと同じ、
兄弟 「自分のことを分かってくれていると思っていた。」
弟  という言葉だった。

弟、帰り道。

弟  結局のところ、彼女の話を聞いたところで、わからないものはわからなかった。埋められない『空白』。俺には関係のないことなのに、なぜ二人の話を聞いたりしているのだろう。わからないことがわかったところで、どうなるというのだ。そんなモヤモヤを解消したくて、俺は兄の部屋を訪ねることにした。二人を繋ぐかもしれないのに。

兄の部屋。

弟  「落ち着いた?って、仕事してんのかよ。」
兄  「ああ、やらなくちゃいけないことあってさ。どっか行ってたのか?」
弟  「えっと、漫画買いに行ってた。」
兄  「今朝はごめんな。急にあんな話して。」
弟  「それは別にいいよ。」
兄  「みっともないとこ見せちゃったな。僕はもう大丈夫だよ。ありがとな。」
弟  「うん……いや、あのさ。俺、思うんだけど、やっぱり二人ともすれ違ってるだけなんじゃないの?」
兄  「すれ違ってる……。」
弟  「そうそう。やっぱりちょっとした誤解なんだと思うんだよ。俺が口出すのもあれだけど。」
兄  「付き合うとき、約束したんだよ。秘密は無しにしようって。少なくとも、他に好きな人ができたり、相手に気持ちがなくなったら、正直に伝えて別れようって。だから、今回のことは、そうなっただけの話なんだよ。」
弟  「そう頑なになるなよ。大げさだよ。」
兄  「それに僕のこと、嫌いだって。」
弟  「それは違うって。」
兄  「だけどそれってどうすればいいのかな。僕が努力すればどうにかなることなのかな。」
弟  「後悔してるなら、もう一回話してきたら?話さなきゃわからないこと、たくさんあるだろ。」
兄  「簡単に言うけど、本当にいつもと違ったんだよ。今までにないくらい突き放された。それに驚いて、冷静になれなくなって、とりあえず帰ってきたんだ。今更……。」
弟  「そんなことで帰ってきたのかよ。」
兄  「そんなことって。」
弟  「何とかしたいなら、自分から行動しないとだめだろ。」
兄  「僕は今までそうしてたよ。」
弟  「でも実際にはお互いにわかってないとこがあるじゃないか。だったらそれを補うために話し合うのが普通だろ。」
兄  「そうは言うけど、彼女はもう僕と連絡さえとってくれない。」
弟  「兄貴はそれだからだめなんだよ。方法なんていくらでもあるだろ。あいつは、兄貴にわかってもらえると思ってたんだぞ。あいつは兄貴と同じ気持ちだった。小さい頃から一緒で、理解し合えてるって思ってたんだ。」
兄  「何でお前がそんなこと言うんだよ。」
弟  「……。」
兄  「やっぱり話したんだな。」
弟  「けど、理由はそれだけじゃない。」
弟  とうとう俺は伝え始める。優秀で、内心では尊敬していた兄。いままで本当に尊敬していた。けれども俺は、言葉をぶつける。一度言ってしまった言葉は取り消すことができない。それでも。

弟  「何も言わなくてもわかってくれるだろうなんて、甘えた関係だよな。」
兄  「甘えてなんかいない。」
弟  「兄貴のやり方が正しいなんて、俺には思えない。」
兄  「正しいとか正しくない以前の問題だろ。」
弟  「兄貴は、なんでそんなにあいつに拘るんだよ。」
兄  「拘るってその言い方おかしいだろ、彼女なんだから。」
弟  「でも今はもう彼女じゃない。」
兄  「……。」
弟  「お互いが話し合って歩み寄る姿勢があるなら、そうすればいい。でも兄貴にもあいつにもそのつもりがない。だから無理なんだよ。兄貴にはもうこれ以上無理なんだよ。だから諦めて、さっさと他の女探せ。」
兄  「なんだその言い方。それになんで決め付けんだ。そのつもりがないなんて僕がいつ言った。」
弟  「言ってないよ。言ってないけど、何もしてないじゃないか。」
兄  「それに、そんな、そんなとっかえひっかえみたいな、『あれがダメならこっちで』みたいな適当なことしていいわけ……。」
弟  「あるだろ。良いわけあるだろ。あいつに振られたら、それだけで兄貴に価値はなくなるのか?代わりのものを探せばいいだけじゃないか。」
兄  「お前の言いたいことはわかった。確かに僕は、彼女のことをわかっているつもりだった。つもりであって、実際はそんなことなかったから今回のようなことになった、きっと。でもそれなら、これから彼女のことをもっとちゃんと理解して受け入れれば良いだけの話ってことだよな。」
弟  「……。」
兄  「お前と話していて少し頭が冷えた。お前の言うことは正論だな。その通りだと思う。だから、もう一度向き合ってみる。あいつがどう思おうと、僕はそう思う。」

弟  俺は何も言えなくなってしまった。兄は今まで、物事をまっすぐ見つめず、彼女と接する時でさえ、葛藤が起きないように、あるがままを受け入れていたのだろう。そんなことはもはや、理解し合っているとは言えない。
弟  「兄貴。俺に隠してることあるだろ?」
兄  「それは僕たち二人の秘密だ。残念だったな。」

弟  こんな風になった二人でも、共有できるものがあるようだった。

兄  人間は、時間が経つと、嫌なことは忘れ、良い思い出だけが美化されて残っていくのだという。けれども、きっと僕の場合、幸せだった思い出を振り返った時、結局幸せなんてものはずっとは続かないのだと悲観的になってしまうだろう。それでも、自分の思う幸せを追っていきたい。そこにあるもの以上の幸せはないと思うから。

弟  口に出して誰かに話した途端、そこには脚色が入る。きっと脚色によって生まれたものが『空白』なのだと、俺は思う。二人が共通に持つ『空白』は何なのだろう。俺が導き出せないものは何なのだろう。俺には、彼女と理解しあえる方法が今はない。でも、兄のことは、よくわかっているつもりだ。だから、いつかは俺たちの均衡が崩れて、対峙することになるのを予想していたのかもしれない。けれども、俺が兄のことを良くわかっているのと同様に、兄も俺のことを良くわかっているようだ。

兄  「お前、もう少し後先考えて発言した方がいいぞ。」
弟  俺の考えていることなど、見透かされていた。
兄  弟とは、小さい頃から仲が良かった。
弟  兄の後ろを付いていく子どもだった。
兄  けれども僕は、弟のことが羨ましくもあった。
弟  俺はずっと兄に追いつけないことが悔しくて、誇らしくあった。
兄  柔軟で、頭の回転が早くて、遊びが上手な弟。
弟  勉強ができて、優しくて、真面目な兄。
兄  弟は、僕にできないことができた。
弟  兄は、俺にできないことができた。
兄  でも僕は先に生まれたから、僕にできることを弟より先回りして探すしかなかった。
弟  俺は後に生まれたから、何もわからないまま後を追いかけていた。
兄  探した先にあったものは、彼女の存在だった。
弟  追いかけていった先にあったものは、兄と一緒にいる彼女だった。だから、壊さないように、触れないように気を付けた。
兄  でも結局は、こうやってぶつかる時がやってくる。時が流れれば、変化する。
弟  いつかは、向き合って違う道を進まなくてはいけない。だから俺は、兄を追わない。なりたくても、俺には兄と同じようになることができない。だったら、違うことをする。
兄  彼女は、僕が今まで知らなかった秘密を持っていた。だから、会おう。会って話そう。そうすれば、上手くいくはずだから。

兄弟 けれども僕(俺)たちは、簡単には手に入らないことを思い知る。

弟  こんなことがあってから半年後、彼女は大学を卒業し、上京した。その一年後、慣れない勉強に耐えて、俺も大学進学のために家を出て行くことになった。彼女のいる東京へ。そこから先はまだ、俺の知らない物語である。


※脚本ご利用の際は、西田夏実までご連絡ください。

よろしければサポートをお願いいたします!今後の創作活動に役立たせていただきます♪