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クルドっていう国、知ってます?

クルド人 国なき民族の年代記 福島利之 岩波書店
 クルド人、数年前から、ちらほら新聞で関係する記事が掲載されるようになりましたが、皆さん、ご存知ですか? 約3500万人の人口を抱えるにも
関わらず国を持っていない民族です。 2度の世界大戦後、民族自決主義に基づき様々な国々が独立を勝ち得ましたが、クルド人達は遂に自分達の国を持つことは叶いませんでした。

171007 クルド人が暮らす地域


 クルド人は、現在のイラク北部、イラン西部、トルコ南東部、シリア西部にわたる地域に広く居住しています。この辺りは、急峻な山の連なる山岳
地帯で、渓(たに)毎に特定の部族が支配しており、また、部族間で争いが絶えなかった為、クルド民族としての統一意識が生まれずらい状況に
ありました。その結果、世界大戦後の格好の独立を勝ち得る時期をむざむざと逃してしまい、西欧列強が中東地域を分割統治する為に結ばれた
サイクス・ピコ協定に基づく、人為的に引かれた国境線に因って居住地域が分割されてしまったのでした。


 著者の福島さんは、読売新聞に勤務し、2003年から2004年までイラクのサマワ駐在、2007年から2010年までカイロ特派員を務められました。


 物語は、クルド愛国同盟(PUK)の元通訳官、マツダ・アーリフ(43)とスレイマニア(クルド自治区の大都市)の有力紙「アウェーナ」の記者、
ヤヒヤ・バルザンジ(43)、そしてマツダの父フセイン・アーリフの取材
結果を基に展開されています。
フセイン・アーリフは、クルディスタンを代表する「国民的」作家、
そして、弁護士の資格を持つ知識人。1992年から2005年までクルド地域政府の議会議員を務められています。
一方、ヤヒヤ・バルザンジは、スレイマニアの名門バルザンジ部族の
一員で、バルザンジ部族はスレイマニアの神秘主義のカーデリーヤ教団の
導師(イマーム)を代々勤め、スレイマニアで影響力を誇ってきました。
英国は、第一次世界大戦中、地元の名士を通じてこの地を支配しようと
考え、バルザンジ部族の部族長マフムード・バルザンジをスレイマニア地域の指導者に据えたことがありました。しかし、1919年5月にはマフムード・バルザンジは、民衆の支持を固めないまま、自ら「全クルドの王」を
名乗り、クルドの「独立宣言」をし、英国に反旗を翻し、英軍に捕らえられスレイマニアから追放されてしまいます。ヤヒヤ・バルザンジは、形ばかりとは言え「独立宣言」をしたマフムード・バルザンジが祖先にいることを
誇りに思っています。
取材のインタビューを取り付ける際などは、部族の中の”つて”を頼ることも
あれば、バルザンジという名前で相手が信用してくれる時もあるといいます。著者がクルド地域でこれら有力な人物と巡り合えたことが、我々日本人が普段知りえない現地の人達が考えが伝わってくる報告になっています。

 次に印象に残っている記述について皆さんに紹介したいと思います。
それは、恐怖政治「サダムの時代」の出来事です。

 1980年代、スレイマニアの小学校ではこんなことがあった。
大統領サダム・フセインがある日、クルド人の子供たちの通う小学校に側近と国営テレビのクルーを引き連れて視察にやってきた。サダム・フセインの視察は、自分はアラブのみならずクルド人の居住地も掌握し、クルド人にも慕われているという事を国内外に示すのが狙いであった。小学校6年生の
教室を訪れたサダム・フセインは上機嫌で女の子に話しかけた。

 サダム・フセイン 「お嬢ちゃん、私を知っているかい。」
 女の子      「ええ、もちろん存じ上げていますわ。」
 サダム・フセイン 「お嬢ちゃんは、どうして私を知っているのだい?」
 女の子      「だって、お父さんはあなたがテレビに映るとテレビに
          向かって唾を吐くのですもの。」

 テレビカメラの前で恥をかかされたフセインは顔を紅潮させて、その場を立ち去った。翌朝、女の子の父親は、ムハバラートに連行され、即日、処刑された。マツダは実際にあった出来事だと信じているが、あまりに出来すぎた話なので、あるいは、クルドの庶民が苦しい圧政を一時でも吹き飛ばす為に作った風刺なのかもしれない。しかし、こうした悪い冗談としか思えないエピソードはあながち誇張ではない。サダムの時代には、実際にあちこちで起こっていたのである。

 湾岸戦争後、1992年にクルド地域政府が樹立されたが、自治区内には、
クルド民主党(KDP)クルド愛国同盟(PUK)が設立され、2大政党間の
抗争が統一的な独立運動に影を落とすことになる。
マツダによれば、「KDPは党を創設したバルザーニ一族の私物のような組織で、基本的に部族の利益しか考えていない。だから長期的に物事を見通せず、目先の利益を追って動く。PUKは、より知的に洗練され、リーダーも
民主的に選ばれる。政党としての体を成しているのがPUKだ。」
二大政党たるKDPとPUKの対立と不信が頂点に達したのが、両者が武力衝突した1994年の「クルド内戦」だった。イランの支援を受け攻勢を強めたPUKに対し、劣勢となったKDPは、こともあろうに、宿敵サダム・フセインに
支援を要請し、イラク軍をクルド自治区に招き入れた。3万人規模のイラク軍は、アルビルに侵攻し、PUKは総崩れとなり、捕らえられた700人に上る
ペシュメルガ(クルド人部隊)はイラク軍に処刑されてしまう。同僚の議員と共に議事堂に籠っていたフセイン・アーリフとマツダは議事堂の裏口から逃れ、アーリフが長年親交を結んできたアルビルに住むKDP党員で知識人の家に逃げ込み、難を逃れる。



 この本を読んでいると如何に日本が安全で平和に暮らせているかが良く
判る。そして、自分達の政府を持ち、一つの国として纏まっていく事が如何に重要かが身に染みて分かる。日本でも、江戸時代末期に欧州列強が
東アジアに進出してきたが、当時の中国、清王朝が欧州の列強に侵略されていく様を見て、攘夷だ開国だなどと議論があったものの、結局は文明開化の名の下、欧米の進んだ技術や文化を取り込み、何とか植民地になる事を
免れた。当時の日本人の対応に感謝したいと思う。

 翻って、今の世界を見渡すと、欧州では大小様々な国が独立して存在しているが、過去にはローマ帝国という一つの大きな国で在った。
しかし、結局は、分裂していくつもの国家になり、独立国家間で戦争に
明け暮れるという時代が続いた。そして、20世紀の2度の大戦を踏まえ、
今度はECとして統一国家を築けないかを模索中である。
 一方で中国大陸を見てみると、黄河、揚子江流域では、いくつかの国家が独立し戦争をしている時代も有ったが、大部分の時期は、漢や唐、宋、明、清という大きな国が支配していた。そして、その周辺には、中国民族が
異民族と呼ぶ小さな国々があり、絶えず中国王朝と抗争を繰り返していた。しかし、それらの国々は、今は中国共産党が、チベットや西域までも
支配し、大きな国に取り込まれてしまった。この東西の国々の
成り立ちの変遷を非常に興味深く視ているのだが、昨今の中国の在り方を
見ていると大きすぎるデメリットが現れているように思えてならない。
共産党支配であるからかもしれないが、言論統制をしないと国がまとまっていけないという状況にある。政府に異論をぶつける者には当局の尾行が
付いたり、逮捕されたりする。暮らしてゆくには、凄く息苦しい国に
見える。
日本で、メディアや言論界にて、首相を批判しても、尾行が付いたり、逮捕されることはなく、中国共産党が支配する中国に比べ、この日本の開放感
には、ほっとする安堵感を感じるのは私だけだろうか?

 中国共産党は、何故大国になる事に拘るのだろうか。
東・南シナ海の島嶼や台湾まで拘り、我が意の下に置こうとしているのは、20世紀前半の大戦前の欧米列強の過去の行動と類似している。
最近の欧米諸国の、
 「戦争は繰り返すまい、貿易を盛んにし、どの国もが経済的、文化的に
  豊かになり、ウィンウィンの関係を築いていこう」
とする動きに対し、今日の中国共産党の拡張主義は対照的で、世界の潮流
からは、アウトオブデイト、時代遅れに思える。もっとも、旧共産国の
ロシアにも、領土拡張主義の思惑が感じられるところがあるが。

 菜根譚の中に、
 「茶壷には、高級茶葉が少し入っているよりも、安い茶で良いので茶壷が
  満杯の方が良い」
という考えが紹介されている。今の中国共産党には、是非、中国の過去の
先人が書き記したこの菜根譚に習って政をして欲しいものだと思う。
覇権主義に陥ることなく、また、欲張らずに、民衆の大部分が生きていて
幸せと感じる国家建設を目指して邁進して欲しいものだ。

 さらに、最近、北朝鮮が不穏な動きを見せているが、小さな国と
いえども、侮ることなく慎重に対応していく必要性を感じている。

 トルコ、イラン、シリア、イラクの人々には申し訳ないが、クルド人国家として独立するのが、一番理に適っているように思う。その為には、
国として自活できるよう産業を育てることが今一番大事なのではないかと
思う。そして、クルドの人々も積極的に欧米に留学し、最先端の知識吸収に勤めるべきである。又、人的ネットワークを欧米各国政府内部や国連内に広げ、クルド独立の為の世論形成を目指すことが重要である。


クルド人の検討を祈りたい。

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