ナルシスト

さて、前の記事の通り私は運良く、芸能界にはなんとか入れたものの、芸能界の中においては、全く美人ではない。

しかし、幼少期は典型的「ハーフ」な顔立ちだったこともあり、それはもうことあるごとに容姿を褒められてきた。「ハーフ美少女」として扱われた。
それは母親の再婚相手(以下、Xと記す)にとっては恰好の攻撃要素となった。

(ちなみに、「ハーフ美少女」とは私がよく使うフィクションの概念であり、現実の多様なミックスルーツの少女を意味しない)

私がよく言われていたのは「お前はナルシストのキチガイだ」というものだった。
ナルシストというのは、小2のとき住んでいた家の収納扉が鏡張りで、とにかく壁一面の鏡が面白く、それをチラチラ見ていたことに起因する。
キチガイというのは、Xにわけのわからないことで怒鳴られ、みっちり”説教”を受けているときに、私は解離するようになっていたからで、「キチガイの目をするな!」と、よく言われていた。
まだ年齢一桁の私は、キチガイの目をするキチガイ女だというわけだ。

私が周りの大人に、容姿や頭の良さを褒められるたびに、あとで怒られる。
だんだん褒めてくる大人が嫌になってきた。特に容姿だ。頭の良さは、褒められたら子供にとってはそれなりに嬉しい。しかし容姿はなんの意味もない。少なくとも、当時の私にとっては。クラスの男の子にはガイジンと言われ、からかわれるのに、大人たちが気持ち悪い顔を向けてくることになんの意味がある?

自分自身を典型的「ハーフ美少女」だと扱われていたと平然と言えるだなんて、ナルシストの極みにも思える。
Xの言う通りだったのだろうか?
しかし、私の容姿が特別優れていたとは全く思っていない。ただ、わかりやすく、幼少期、「ハーフ」の典型的な顔をしていたから、珍しい顔をしていたから、そう扱われているだけだと理解している。

ナルシストのキチガイだと言われるたび、私は理性では理不尽だな、頭が悪いなこの人は、とすら思っていた。でも自分を保とうと頑張っても、小学生にとって大人は、ただひたすらに、強い。怒鳴られると、怖い。

周りの大人達から褒められる私がどうしてこんな目に遭うのだろう。
私は可愛くて美人で賢い子供、みんながそう言う。だから未来は明るいはずなのだ、私はこんな目に遭っているが、絶対、未来は明るいはずなのだ、私は可愛くて美人で賢い子供なのだから……

でもその先の未来は全く明るくなかった。
どうして?
私が可愛くなくて美人でもなくて賢くもなかったから?

結局、私は他人から言われた言葉をそのまま受け取る人間で、自分というものが薄いのだ。私に中身があるとは思えない。
だからこうやってなにかしらを書いてみている。

「私」はどこに消えたのか。

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