ぐるぐる、廻る
私の人生は、「生活保護世帯から東大で博士号を取るまで」という記事の、ちょうど反転しているように、勝手ながら思っている。
早熟な方だった私は、小さい頃から「頭が良い」と言われてきたので、「勉強の楽しさに目覚めた」という経験もない。成績がぐんと上がった、と周りが驚くこともない。むしろ、私は期待よりもずいぶんレベルの低い高校に進学したのだ。ただ、大人の期待から、当たり前に大学進学ができるであろうという漠然とした確信があったと言える。高校の教師ですら、その学力ならと、東京の有名大学などを私に勧めたりしていたのだ。
だが、真剣に、机にかじりつき、勉強だけは続けてきた、という経験もない。
まずその前に、体力も精神力もズタズタになっていた。
思えば、小学校高学年から、明確に心身の不調は現れており、中学時代、数週間単位の不登校を何度か経験していた。複雑性PTSDの症状が私を蝕んでいたのだ。
なによりもまず、私は健康であること、が足りなかったと思う。
ろくに勉強をしていないのだから学力は下がる一方だ。私が前回の記事で載せた微妙な成績の模試がそれを示している。
さて、私はなぜ同じ話を繰り返しているのだろうか。
同じことが繰り返し起こっている、と感じるからである。10代も、20代も。周りの期待に応えることができなかった。自分に課したハードルを超えることができなかった。健康な日々を過ごすことはなかった。
30歳前後で、やっとしっかり療養生活を送ることができ、なんとかこうやってまた少しずつ仕事を再開できている。
しかし、あの頃の可能性はもう戻ってこない。
その悲しさが、このような記事を書かせるのだろう。
勿論、人生は長い。まだまだ先は長い。できることはたくさんある。それは知っている。知ったうえで、失ったものを思う。他の人が10代、20代で得たものを、私はこれから、獲得していかなければならないと思うと、気が遠くなるのだ。
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