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カクウホンヤメグリ2 薄明書房

 駅のほど近く、メイン通りから細い路地へ一本入ると雑居ビルが立ち並んでいる。その中の一棟、薄暗い二階に本屋がある。《薄明書房》の目印は、《Twilight》と書かれた小さな木の看板のみ。金曜日と土曜日の夜の数時間という、短いだけ間営業しているという薄明書房の店長は、オブライエン桜子ジェニファーさんという。

 店内は、ヴィクトリアン調のインテリアで統一され、店長の桜子さんもロングスカートのクラシックなメイド服といういで立ち。彼女一人で、この店を運営している。

「店に入った瞬間から、別の世界へ迷い込んだように感じてほしくて。それでこんな格好をしています」

 と笑いながら語ってくれた桜子さん。この衣装は十九世紀のメイド服を再現したデザインになっている。

 本棚に並ぶのは、トマス・マロリー、W・B・イエイツ、ローズマリー・サトクリフなどのフィクションから、マビノギオンのような歴史書、さらには研究書、画集までが並ぶ。原著に当たりたい人のために、日本語の書籍だけではなく洋書も取り扱っているのが、薄明書房の一番の売りだ。

 薄明書房という店名も、イエイツの『ケルトの薄明』から採った。これは彼女が生まれ育った家の本棚にあり、彼女自身何度も読んだ本だという。

「母が魔法種族ということもあって、魔法や妖精という世界はごく身近にありました。この本は、私にとってある種のルーツだと思っています」

 ここで、彼女の実際のルーツと、その両親のロマンチックなエピソードについて記しておこう。父親はこの街出身の日本人、関川望さん。母親の方はというと、北アイルランド出身の《魔法種族》―妖精―なのだ。

ジェニファー・M・オブライエンという名の彼女と関川さんが出会ったのは、彼のイギリス留学時代のこと。大学でイギリス美術について学んでいた関川さんは、とある美術館でよく見かける女性に恋をしていた。

ある時、関川さんはいつものように美術館を訪れていた。そこで関川さんはこう声をかけられる。

「こんにちは。よく、お見かけしますね」

 話しかけてきたのは、美術館でよく見かけるあの女性、そして後に桜子さんの母となるジェニファーさんだった。二人はすぐに交際を始め、イギリスで結婚。桜子さんと弟が生まれた。

 そんな家庭で育った桜子さんだったが、十四歳の時転機が訪れる。日本に住んでいる祖父母の家を訪れた際、初めて花見をすることがあった。そこで桜の花の美しさに感動し、日本で暮らしてみたいと思うようになる。留学は高校生の時に始まり、やがて日本の大学へ進学。卒業後は祖父母の家で共に暮らしながら、会社員として働き始めた。

 桜子さんが店を開こうと考え始めたのは、意外にも高校生の頃からだと言う。
 

「当時はどんな店とは決めていませんでしたが、私の生まれ育った土地の歴史や、私自身のルーツについて日本の人に知ってほしくて。それが最終的に、書店という形になりました」

 両親ともに美術に造詣が深い家庭で育った彼女は、初め画廊のようなものを想像していたという。

 「そんなことを父に話していたら、『書店の方がいいんじゃない?』と言ってくれたんです。日本では、美術品はまだまだ一般の人に浸透していないから、と」

 そんな助言も、日本で生活するようになってよく理解するようになった。

「日本人は、美術というとすごくハードルが高いものだと思っていますよね。一方で、本なら手に取ってもらえる機会が多い。そういうことを、父はよく知っていました」

 働きながら資金を貯めながら物件を探す日々は三年程。悩んだ末にこの場所を選んだのは、やはり《別の世界へ行って帰る》ことをコンセプトの一つにしているからだ。

「昔から想像されてきた、妖精の世界というものを感じてほしいのですね。人間のすぐ近くに、妖精もいるのだということを」

今でも会社員としての生活を続けながら、副業として書店を経営している桜子さん。副業ならではの苦労もある。特に、日本では手に入らないものを仕入れるときなどは実際に海外に行くことも。

「幸い、理解のある職場で働いているので、そこは助かっています。一度の渡航で、出来るだけたくさんの本を手に入れないと、といつも思っていますよ」

 渡航先では、書籍だけでなく、絵画やアンティークなども収集するようにしている桜子さん。実は、店内に調度品として飾られている絵も購入できるようになっている。

 この日壁にかかっていたのは、妖精を描いた銅版画だった。桜子さんが先日の渡航で気に入り、仕入れてきた作品だという。

「隠しアイテムですね。『これ売ってないの?』と聞かれたら売る、というシステムにしてたんですが……ここで言ってしまったら駄目ですね」

 そう言って笑う桜子さん。この絵も、彼女が日々掛け替えている。それに客が気付くのも楽しみ、気付かないのもまた秘かな楽しみだ。

 最後に、桜子さんが最もお勧めしたい本を紹介。『アーサー王を追う~伝説から現代まで~』は翻訳家としても知られる三輪淳子氏の著作。アーサー王伝説の成立から、現代のファンタジーにおけるアーサー王まで、幅広く紹介した本だ。

「アーサー王伝説は、日本でもメジャーな存在になりつつありますが、より多くの方にその源流となった物語も知ってほしいと思っています。これは、その入門編としてお勧めです。特にこの本は、巻末の参考資料がすごくて。ここに載っている本をあたってみてほしいですね」

 さらにそこから、深い伝説の世界に足を踏み入れてほしいと、桜子さんは言う。

 雑居ビルの中、夜だけ開く書店。そこには確かに、妖精の世界があった。あなたも一度、迷い込んでみてはどうだろうか。

続きました。

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