2023.9.16 木を見て森を見た上で別の木も見たほうがいい
一人の人(というかcase)を見ただけで「こういうタイプの人はみんなこうなんだな」とか思うのはどう考えても危険である。
例え話にではあるが、イスラム教徒の場合について考えてみてほしい。日本で身近なのは、インドネシアの人たちだろう。
でも、同じイスラム教徒でも、サウジアラビアの人たちや、イランやトルコ、エジプトの人たちでは考え方は同じだろうか? あるいは、フランスはイギリス、アメリカにだってイスラム教徒はいる。なんなら日本にだってイスラム教徒はいる。外国籍・ルーツの人もいれば、日本人のイスラム教徒だっている。
それぞれに違う言葉を話し、たどってきた歴史や背景も違う。その人たちをひとまとめにして、「イスラム教徒というのはみんなこうなんだ」と思うのはどう考えてもおかしい。
(※ここではイスラム教について考証はしていません。すみません。)
さらに言えば、インドネシアの人たちが全員イスラム教徒というわけではない。バリ島ではヒンドゥー教徒が多数派だというのは有名だし、もちろんほかの宗教の人だっている。それを”インドネシア人”としてひとくくりにするのは、ずれていると思ってしまう。
それに、時代や政治によっても社会(保守・革新など)は変わる。田舎の老人と都市の若者でも考え方は違うだろう。そういうことを考慮しないのでは、本当の意味での交流には到底足りないだろうとも思う。
こういうことは本当に見ていて気になる。危ないことだとさえ思う。
関係ないけどインディカ米のナシゴレンが食べたい。ジャポニカ米で作ってもおいしくないと思う。マジで。
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