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日々の「面倒くさい」にコミュニケーションは詰まっていたのかも知れない。

皆さんこんにちは。
最近テレビやニュースを見ていると色々と本当に便利になったなと。
Amazonでポチッとやれば早ければ当日、遅くとも翌日には届くし、
便利家電で調理も簡単。時短料理で十分美味しい。
スーパーやコンビニでお惣菜を買えば料理すらしなくても
美味しいご飯が食べれたり。Uberで注文すれば外出すら必要無し。

ここ数年の変化は本当に目まぐるしいと思います。

一方でこれだけ便利グッズが溢れている中で、
どれだけ僕達の生活が楽になったんだろうと思います。
そもそもなんで便利家電を作る必要があったのか?
Amazonがあると便利になるはずのことは本当に便利になったのか?
と思ったり、
僕らはそこまで時間を短縮して何を得ようとしているんだろう?
とか考えちゃう訳ですよ。

勿論こう言ったサービスやグッズがあることで、
有益だと感じる方が数多くはいらっしゃると思います。
私のように疑問に思う人間の方がマイノリティだとは思います。

それでも私は、結局便利グッズやサービスにのめり込みすぎて、
本楽の目的であったはずの忙しい現代人の時間に余裕を作り、
人生を豊かにするという目的はあまり
果たせていないんじゃないかと思っています。
特に他人とのコミュニケーションをとるという時間を作ることは全然できていない
と思います。

家電のサイクルが早まるので常に最新を買おうと仕事をこん詰めてやってたり、
最新グッズのレビューを見る時間が何時間も続いたり、
確かにボタン一つで、スマホ一つでなんでもできる時代になりました。
しかしネット上の評価や評判を気にするあまり、
自分の目に見える範囲の人たちではなくて、目に見えない誰かの評価を
気にするあまり、身近の人たちとのコミュニケーションが疎かになっている
のではと思います。

私は、スマホや時短サービスがそんなになかった時代の「めんどくさい」にこそ
コミュニケーションが詰まっていたと思います。
それは、「嫌なことを共通言語にすると人はなんでも話せる」と思うからです。
結局人はめんどくさがりで、楽をしたい生き物だと思います。
しかしそれでもやらないと生きていけないことを一緒にやることで、
本音で話せるし、長い付き合いになると思います。
今はなんでも便利になったので、生活できるのは当たり前の上で、
あれ使ってないの?あれ契約してないの?
とコミュニケーションのやり方がただのマウントの取り合いのなってしまいがちですが、本来はそんなものなくともなんとか人間は生きていけるはずなんです。

要はケーキの上のイチゴの数で争っているだけで、
本来はケーキを食べれること(=少しめんどくさいこともあるけど、それでも問題なく生きていけること)に感謝すべきだと思います。
イチゴの数で争っていても、いつかは乗らなくって溢れていくだけだと思います。

最後に伝えたいことは、目に見えない誰かの評価なんかより、
周りの人とのコミュニケーションをもっと大事にしようということです。

ありがとうございました。


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