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処刑少女の考察道:人災化する前に殺す意味

 異世界人を、人災ヒューマンエラー化する前に殺すこと。
 小説『処刑少女の生きる道バージンロード』において、それが第一身分ファウストの処刑人としての主人公メノウの役目です。

 なぜ人災化する前に殺さなければならないかというと、人災化すると大きな被害を出す可能性があるからですよね。四大人災や、漂白された町のように。
 それは、メノウたちの世界に元からいる人々にとって、譲ることのできない理由となっています。

 では、殺されてしまう異世界人の側にとっては、どうでしょう?

アニメ第1話より©佐藤真登・SBクリエイティブ/処刑少女製作委員会
ここで終わったことは彼にとっては「よりマシ」な結末だったのか。
それを考えてみたい。

 人災化して純粋概念に浸食されるのも、処刑人に殺されるのも、本人にとっては自由な意思がなくなり、もう元には戻れなくなることに変わりはないのではないか。
 むしろ、人災化して霧魔殿パンデモニウムのようになったとしても、なんか動いて喋ってはいるみたいだし、死んで何もなくなってしまうよりマシなのではないか。

 そんなふうに考えたことはないでしょうか?
 おそらく、それは全く違うのです。

コミカライズ4巻 第26話より©Mato Sato/SB Creative Corp.
人災化まで行き着いた姿がこちら。

 今回は、人災になることと処刑人に殺されることの何が違うのか。それを考えてみたいと思います。

 このことによって、メノウが「アカリのためにアカリを殺す」と決意する意味も、より深く想像できるのではないかと思います。

 そして、どうして処刑人という辛くて危険な役目を、最上位の階層である第一身分がやらなければならないのかということも考えてみましょう。

この記事のネタバレ警告

 この記事では、小説6巻までの内容を踏まえて考察しています。

 現在、本編を読み進めている方。あるいは、情報はまず本編から得て楽しみたいという方。
 まずは本編を存分にお楽しみいただいてから、この記事に帰ってきてください。

 ただしこの記事は、アニメ12話まで・あるいは小説2巻までをご覧になった方が読んだとしても、その後の物語の展開のネタバレになったり、謎が明らかにされる楽しさを損なったりはしないように努めたつもりです。(コミカライズだと単行本4巻までの範囲を少し越えます)
 お読みいただくことで、本編を更に先まで手に取る意欲が湧くこともあるかもしれません。
 あくまで自己責任でご判断の上、お読みください。


魂は輪廻する

 そもそも、死ぬとどうなるのでしょうか。

この世界において、生命の定義とはすなわち『肉体・魂・精神』の三要素が揃っていることだ。

小説2巻エピローグ
(著:佐藤真登/イラスト:ニリツ GA文庫/SBクリエイティブ刊)

 メノウたちの世界においては、このように説明されています。同様の説明は、複数の登場人物たちから繰り返されます。

 そして、肉体が生命を保持できなくなって死を迎える際、精神と魂がどうなるのかについては、次のように描写されています。

星に拡散して、留まることなく流れていくはずの魂。すでに意識を失って溶けていこうとする精神。

小説2巻エピローグ

 ここはマノンの視点で描写されている地の文ですが、死にゆく彼女自身の意識が再び覚醒する前の時点です。いわゆる神の視点に近く、少なくとも彼女個人の想像や仮説が書かれているわけではないと思われます。

 死んだら「溶けて」しまうのが精神ということになりますが、ではその精神とは何をしているものなのかということについては、次のように説明されています。

人の記憶と人格をつかさどるのが精神とされている。

小説6巻2章よりアーシュナ視点と思われる地の文

 覚えたり、考えたり、意思決定をしたりする部分と捉えてよいのではないかと思います。それらは、死ぬと溶けてなくなってしまうというわけですね。

アニメ第12話より
「頭に短剣をねじ込まれた後に、体が内部から爆散したような気持ちです」
再生の素材となったミツキや騎士の精神は失われているが、
肉体の状態はマノンの精神に伝わったということか。

 では、魂が「留まることなく流れていく」とは、どういうことでしょうか?
 次のような記述があります。

輪廻転生を繰り返そうとも摩耗しない魂の強度

小説6巻3章より『陽炎』視点と思われる地の文

 『陽炎フレア』が、つまりメノウたちの世界の人々が「輪廻転生」という言葉を認識していることが、ここから分かります。
 同じ章では別の登場人物の視点で「輪廻」という表記も用いられています。
(ちなみにメノウたちの世界の言語は日本語です)

 千年もの間、単一の宗教が世界を支配していることも確認しておきましょう。
 というのも、人は死んだ後にどうなるのか、ということに答えを示すことは宗教や神話の担う大きな役割だからです。

 復活して審判を受けるという宗教もあれば、永遠に戦い続けるという神話もあり、極楽浄土へ行くという教えもありますよね。

 そしてメノウたちの世界では、他の宗教や神話といった比較対象や思考の材料に触れる機会自体がまずないため、信仰の深さに差異はあるにしろ、世界中のほとんどの人々に「死後の世界観」は共有されていると思われます。
 輪廻という死生観が『陽炎』だけが持つ特殊な例だとは考えにくいということです。

 以上のことから、次のように考えられます。

 メノウたちの世界においては、生命は肉体・精神・魂の三要素によると考えられている。
 肉体は、やがて失われる。(土中で分解されたり、塩になったり、少女の材料にされたりと、物質としての行く末は様々)
 記憶と人格をつかさどる精神は、死ぬと溶けてなくなる
 魂は死後「星に拡散して、留まることなく流れていく」。やがて別の生命として転生する。これを「輪廻転生」や「輪廻」と呼んでいる。

 地球の宗教においては、輪廻は苦行であると説かれている例もありますが、それは苦しいこの世界で転生を続けることからの「解脱」を目指すという考え方があった上でのことです。
 メノウたちの世界において「輪廻から解脱して、幸せな『主』のいる世界へ行こう」という教えがある様子は見受けられません。6巻まで読んだ人とモモちゃんさんは、そんなに苦笑いしないでください。
 魂の生み出す導力自体は観測できるものでもあるため、それが世界を巡らず別のところへいくという説は成り立ちにくいのかもしれません。

 おそらくですが、メノウたちに「輪廻は苦行」という認識はなく、それこそが自然なあり様であり、自分たちは死後は生まれ変わるものと信じて生きていると思います。

 魂が「拡散」して「摩耗」するものだとしても、輪廻があるということは、自分の今の人生だけが生命の全てではないということです。
 大切な人たちの魂とも、次の生でまた巡り会える望みがあるということです。

 もう一周繰り返すのはキツいなぁ……。百合な関係を遠くから静かに見守っているだけで人生は幸せであるという真理に、来世はもっと早く気付きたい。
 でも『処刑少女の生きる道』にもう1回、また新鮮な驚きと共に出会えると思えば、生まれ変わるのも悪くはないかもしれません。

 そんなことより……メノウたちの世界で生まれたわけではなく、同じ宗教教育を受けていない異世界人であっても、召喚された後は同じ三要素で成り立つ生命として存在すると考えられます。
 アカリよりも過去に召喚された異世界人の肉体・精神・魂が、それぞれどうなったかということが6巻で語られているからです。

 異世界人も、メノウたちの世界で死ねば、その世界で輪廻するはずです。魂はメノウたちの星に拡散するのですから。
 地球に帰ることはできないまでも、次は純粋概念なんていうものを持たされた存在としてではなく、メノウたちの世界の生命として生まれることができるのです。
 そう、魂が星に拡散していくような形で死ぬことができれば、ですが……。


人災化すると魂は輪廻できない

 ところが、通常の死とは異なる最期もあるようです。

『導力:生贄供犠――原罪ケ印傲慢・精神・肉体・魂――召喚【原罪ケ悪・地縁這寄】』

小説1巻4章

 小説1巻の黒幕が、ため込んであった人体の素材を生贄にささげて悪魔を召喚する場面。
 「精神」「魂」という語が見てとれます。このような場合、その精神と魂はどうなるのでしょうか。

 生贄にささげられて死ぬのだから、精神は溶けてなくなり、魂は星に拡散して輪廻……するでしょうか?
 それだったら、肉体だけが生贄にささげられた場合と変わらないのではありませんか?
 敢えて「精神」と「魂」までもが生贄と明記される以上、そうでない場合とは異なる扱いでなければ意味がありません。

アニメ第5話より
地下に「ため込まれて」いた行方不明者たち。
彼女たちの「来世」の可能性までもが生贄に捧げられたのではないか。

 ちなみに、肉体だけが生贄にささげられる場合は、ちゃんとそのように表記されます。

『導力:生贄供犠――地縁這寄・肉体――召喚【原罪ケ悪・蠅髑】』
 とっさに背後を向いたオーウェルが、足元の悪魔の肉体を生贄にささげて形を変えた悪魔を召喚しなおす。

小説1巻4章

 生贄にささげられた魂がどうなるのか――ということについて明確な描写はありません。
 しかし、通常の死とは異なる扱いとなることが明確である以上、星に拡散せず輪廻できないことが推察できると思います。

 原罪魔導おそるべし。マノンさんは立派な禁忌です。

 さて、輪廻ができない場合もあるようだと認識した上で、いよいよ人災化について考えてみましょう。

純粋概念は本来ならば異世界人の魂に内包されている。精神を削り、魂を損なわせることで人災として暴走

小説5巻2章よりメノウ視点と思われる地の文

 そうです。魂は損なわれてしまうとあるのです。

 え? 万魔殿って、もう魂ないの? と驚く方もおられるかもしれませんが……人災化したものの「討伐」されていない例については今回は保留したいと思います。
 この段階ではまだ魂がなくなってしまうはずがないことは、6巻まで読まれた方は確信しておられるはずですが。

 また、次のような記述もあります。
 異世界人の人災化について言及される場面です。

彼らの魂が純粋概念に乗りつぶされると同時に

小説5巻2章よりメノウ視点と思われる地の文

 「乗りつぶされる」というのが具体的にどういうことかは記述されていませんが、前述の「損なわせる」とも合わせると、やはり通常の死と同じように魂が扱われるとは考えにくいと思いませんか。

 原罪魔導の生贄にささげられたり、人災化した場合、魂は通常の死とは異なる扱いを受ける。
 通常の死とは異なる以上、それは星に拡散して輪廻できないことを意味する。

 このように考えられます。


まとめ 処刑人が殺す意味

 メノウたちの世界において、魂は死後に生まれ変わる。輪廻する。
 原罪魔導の生贄にされたり、人災化した場合、輪廻はできないと思われる。

 死について簡潔にまとめると、こういうことになります。

 輪廻できないということは、もう次がないということです。
 逆にいえば、通常の死を迎えることさえできれば、魂は輪廻して生まれ変わる望みが残るということです。

 アカリは純粋概念を持たされた異世界人として、メノウと出会ってしまいました。
 けれども、人災化したり生贄にささげられたりすることなく、まっとうな死を迎えることができれば、その魂は純粋概念など持たない新しい生を得る望みがあります。
 そしてメノウも同じく輪廻するならば、いつか二人の魂は別の命として再び出会う可能性が残ります。

 メノウがアカリを人災化させたくないというのは、きっとそういうことでもあるのです。

 また、アカリに限らず全ての異世界人は、残酷なまでにその利用価値を狙われます。
 利用しようとする側には、異世界人にまっとうな死を与えて魂を輪廻させてあげる義理などありません。
 貴重な素材は手に入れたら最大限に使い尽くすことこそ合理的です。異世界人の利用自体が禁忌なのですから、原罪魔導に利用することにも抵抗はないでしょう。

 仮に処刑人がいなくても、異世界人にとってメノウたちの世界は地獄なのです。
 しかし少なくとも処刑人は、異世界人に通常の死を与えることを役目とします。人災化する前に殺します。処刑人たちも魔導の行使者でありながら、貴重な素材だからといって異世界人の肉体・精神・魂を利用したりせず、どこまでも通常の死として扱います。
 人災化したり、禁忌を犯す者たちに利用される前に、処刑人に出会って殺されることさえできれば、異世界人の魂には生まれ変われる望みが残るのです。

 そして第一身分たちは、自らこれを行います。
 一歩間違えば瞬殺されるような能力を持つ異世界人と接触し、能力を確認した上で処理しなければなりません。異世界人を利用しようとする他の勢力とも戦わなくてはなりません。そのためには厳しい訓練も必要です。

処刑人の多くは、精神の負担で人間として壊れる。壊れた人間は使いつぶされて終わる。

小説6巻4章より『陽炎』の発言

 それでも、この仕事が第二身分ノブレス第三身分コモンズに命じられることはありません。

 異世界人と純粋概念の危険性はメノウたちの世界では歴史の基礎の基礎なので、異世界人が現れたら殺さなければいけないということは秘密ではありません。(追記:表向きは保護しているということになっていましたね)
 教典魔導は第一身分だけが持つ強力な武器ですが「貴重な正規兵を一人危険に晒すより、多数の傭兵を使い捨てる」という判断が合理的になってしまう例はいくらでもあります。

処刑人は、どの教区にも所属しない。聖地に戻ることもめったになく、ほとんど独立した活動をする人間だ。同じ立場の人間でも信用はするなよ。組織に依存しない分、裏切る奴は裏切る」

小説3巻2-3章幕間より『陽炎』の発言

 というように、裏切るかもしれないので第二身分以下に任せられないということでもありません。

 世界を支配している第一身分が、それでも異世界人の処刑という仕事を下の身分に投げない理由。それはおそらく、第一身分が宗教家であるからです。
 人の魂を正しく送り出す。
 第一身分による絶対的な支配には色々と恐ろしい部分もあるかもしれませんが、少なくともその仕事を他に任せるようなことは、していないのです。

アニメ第12話より
ミツキの肉体は万魔殿に利用されたが、逆にいえば
それまで利用されることはなかったということ。
メノウとモモが埋葬した後、
グリザリカに入った異端審問会も手を付けることはしなかった。

メノウに殺される時にはまったく痛みを感じない

小説5巻1章よりアカリ視点と思われる地の文

 さて、ここまでを踏まえて、改めて考えてしまいます。
 処刑人は果たして悪なのでしょうか。

「なぜ殺すのか。それは、私たちが悪人だからだ」

小説1巻3-4章幕間より『陽炎』の発言

 導師マスター『陽炎』は、そう断言するでしょう。
 その意味も、いずれ考えてみたいと思います。


 お読みいただき、ありがとうございました。
 『処刑少女の考察道オタロード』では、このように本編から材料を拾い上げて、世界の設定や登場人物たちの言動をより深く楽しむきっかけになれるような考察をしていきたいと思います。
 それによって『処刑少女の生きる道』の魅力がより多くの方々に伝わることを目的としています。
 更新はTwitterでもおしらせします。

イラスト素材:イラストAC kanna 様


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