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処刑少女の考察道:20年前の最期の言葉に感じる違和感

「以前に出てきた情報と矛盾していない?」そう勘違いしてしまいかねないようなトリックが小説『処刑少女の生きる道バージンロード』には仕込まれています。

 この物語に限っていえば、そう感じた時こそ、そこには真実の手がかりがあります。「あー、そういうことか! この物語って凄い!」と楽しめる機会です。

 今回は、そうしたトリックを、ひとつだけ解説してしまいます。
 おそらく作中に幾つもある内のひとつです。

 気付かずに読み進めたとしても、物語の本筋は楽しめてしまう部分ではあります。後から「実はあの部分はトリックだった」というような答え合わせもされていません。
 なので気付かずに、あるいは違和感を感じながらも「よく分からないけど、そういうものか」と思って、最新巻まで読み切ったという人もおられるかもしれません。

 本作では複雑で重厚な世界観と人物設定、そして時間という繊細な概念が扱われています。
 これらについて、ちゃんと整合性が付くように物語が展開されていくのか、謎や伏線は回収されるのか、納得のいくような説明はされるのか、といった期待感は、読者がシリーズを楽しみに待ち続ける意欲を左右すると思うのです。
 今回ご紹介する要素を知ることで、本作が「間違いなく期待できる、信頼のおける創作物」であることを再確認していただけるものと信じて、この記事を書きました。

 ネタバレ警告には充分にご注意の上で、お読みください。

この記事のネタバレ警告

 まず、この記事は次のような方のために用意したようなものなので、該当する場合はネタバレとか気にせずに読んでいただきたいと思っています。

 本作を読み(視聴し)始めたが、謎や伏線がちゃんと回収されるのか、整合性は付くのか、そうしたことが不安なため、読み進めることを躊躇ためらっている方

 この記事でネタバレするのは、メノウやアカリの命運そのものではありません。
 シリーズを信じて読み進める気になっていただければ、更に大きな驚きや感動が待っています。この記事に辿り着いたのも星の導きです。読んでしまいましょう。

 続いて、小説6巻までは読み終えており、この記事の題名から内容と答えに察しがつく方も、お読みいただいて大丈夫だと思います。
 そうした方からは「自分で気付くのが楽しいのに」とお叱りを受けるかもしれませんが、前述のような理由ですのでご容赦ください。
 私の解釈の方が誤っていたらコメントで教えていただけるとありがたいですが、他の方がコメントした内容を否定したり、この記事にないようなネタバレを書き込むようなことは、しないでください。

 どの部分かは察しがついているけれど、ご自分の答えに自信がない方。あるいは6巻まで読み終わっているけれど、何のことか思い当たらないという方。
 できれば自分で答えを見付けられると楽しみも大きいのですが、どの時点で「答え合わせ」をするかはお任せします。
 この解釈が正解であるとも限りませんしね。

 現在本編を追いかけていて、少なくとも小説6巻にあたる部分まで読み進める意欲のある方は、これ以上スクロールしないでください。
 小説ではなくコミカライズやアニメ派で続きを待っている方も含みます。
 このまま本作を信じて、道を進んでいきましょう。この記事を開いていただいて、ありがとうございました。アニメ12話までの内容で考察した記事「アニメ映像から考える強敵 マノン」などもありますので、よかったらご覧になってみてください。

 なお、日本語以外の言語に翻訳された本編では、この部分がどのようになっているか分かりません。そもそも疑問が生じないのかもしれません。
 この記事を日本語以外に翻訳して読んでおられる方も、何をいっているのか意味が分からないかもしれません。
 それらの場合については、ゆるしてください。

 それでは、この先からは具体的な内容に触れていきます。
 読み進める過程で、今まで気付いていなかった要素に思い至り「ちょっと自分で考えてみたい」と思った時は、その時点でこの記事を読み進めることを止めて、本編を開きましょう。


矛盾しているように感じられる部分とは

 まず、記事の題にある「20年前」とは、メノウとアカリの旅より20年近く前のことです。
 その頃に召喚された『迷い人』が作中に登場します。
 彼女は、なぜかすぐには処刑されることなく『陽炎フレア』と共に旅をしましたが、最後は『塩の剣』によって突き刺されています。

コミカライズ2巻 第10話より©Mato Sato/SB Creative Corp.
幼いメノウが連れられて行った塩の大地。
実はこの時に「本当は何をしに行ったのか」が明らかになっていない。
メノウに『塩の剣』を見学させるためだけに転移させてもらえるものか?
『陽炎』が報償として「墓参り」を希望したというのも一説として考えられる。

 この記事では、その『迷い人』のことのみを「彼女」と呼び、『陽炎』を指す場合に「彼女」という語は使わないこととします。(引用部分は除きます)

 ――うん、それでいいのさ。
 ふと、これを突き刺して殺した相手の最期さいごが脳裏によみがえった。
 逃れえない死を受け入れて微笑んでいたのは、彼女の人生で最も親しくなった友人だった。
(中略)
 塩の大地まで、連れ出した。彼女を殺すために。それが最良だと思って。自分は処刑人だから。自分は悪人だから。自分がやるべきことをやるために、ここまで来て、彼女に白い刃を突き立てた。
 ――君が決めたなら、それが正しい。
 あと少しでおのが遺体すらなくし、この大地と同じになると知って、彼女は微笑んだ。
 ――君が決めたなら、わたしは終わりでいい。ただ、次がないと、いいな。

小説4巻プロローグより
(著:佐藤真登/イラスト:ニリツ GA文庫/SBクリエイティブ刊)

 これが小説4巻の該当する部分です。

 それでは、小説6巻で彼女の最期について言及されている部分も見返してみましょう。

 だがその時に、純粋概念の持ち主であった彼女は人災ヒューマンエラーとなりかけていた。
 だからこそ、肉体を捨てる決意をした。
(中略)地上に残された肉体は暴走を始め、彼女の友人によって塩と化した。

小説6巻3章より

 書いてあることが矛盾しているように感じられますか?

 その時点で彼女の肉体に『塩の剣』を突き刺して終わりにすることを決めたのは、『陽炎』なのでしょうか、彼女の方なのでしょうか?

『陽炎』が彼女を塩の大地まで連れ出して、不意に『塩の剣』を突き刺したのでしょうか?

 彼女の方が肉体を捨てる決意をして、暴走を始める肉体を塩にしてもらうよう『陽炎』に頼んだのでしょうか?

 この問題に対して「まあ創作物ではよくあることだし、設定がフワッとしてたんじゃね?」と諦めないでいただきたいというのが、この記事の目的です。
『処刑少女の生きる道』は、そういう物語ではないのです。
 何かおかしいと感じた時こそ、そこに真実への手がかりがありますし、そこがシリーズを楽しめる機会チャンスです。

 くどいようですが「ちょっと自分で考えてみたい」と感じた方は、ここで一旦このページを閉じ、本編をお開きください。


ちゃんと答えはある

 それでは、私なりの解釈を書きます。

――うん、それでいいのさ。

 この部分は彼女の言葉と思われます。
 ただし『塩の剣』で突き刺される時に発した言葉であるとは書いてありません。その時には既に暴走を始めていたと思われますので、まだ理性を保っていられた時点で遺した言葉かもしれません。

――君が決めたなら、それが正しい。

――君が決めたなら、わたしは終わりでいい。ただ、次がないと、いいな。

 この部分が『陽炎』の発した言葉だと思います。

「だから私は、お前が人災ヒューマンエラーになるか、お前に友情を感じるまで殺さない」

小説6巻4章より『陽炎』の台詞

『陽炎』は彼女のことを「お前」と呼んでいたのではないか? そう思われるかもしれません。
 しかし最後まで「お前」と呼び続けていたという記述は見つかりませんでした。

「君はどうして私と旅をしているんだい?」

同章より彼女の台詞

 彼女の側は『陽炎』を「君」と呼んでいました。また、彼女自身のことは「私」と言っています。

 メノウらの前では『陽炎』の一人称は「私」になっています。
 しかし彼女に対してだけは、『陽炎』は「わたし」「君」という言葉を使うようになっていったのだと考えられます。
 お願いですから、そうなってからの『陽炎』と彼女の会話を本編でもっと供給してください。スピンオフでもいいです。いつまでも待っています。

 つまり、小説4巻の描写において『陽炎』は
・ 彼女が肉体を捨てることを決意し、二人で話し合った時の記憶
・ その結果、彼女も合意の上で塩の大地に連れて行き『塩の剣』を突き刺した時の記憶
 を混ぜて回想していると思われます。

 それを、おそらく故意に誤解させるように描写することで、読者をミスリードしているのでしょう。
 ミスリードする目的については、シリーズ全体の謎や面白さに関わるため、今回は触れません。

コミカライズ2巻 第10話より
メノウは『陽炎』が自分のためにこの光景を見せ言葉をかけてくれたと解釈し、
大きく影響を受ける。
しかし『陽炎』の背景にこの出来事があったと知ると、受け取り方も変わる。
本シリーズ中には多重の解釈ができる仕掛けが幾つもある。

 念のため改めて整理しておきます。「もう充分に分かった」という方は読み飛ばしてください。

 彼女と『陽炎』は旅をしました。
『陽炎』は当初は彼女に対して「私」「お前」という言葉を使っていましたが、やがて「わたし」「君」と言うようになりました。
 彼女は肉体を捨てることを決意し、そのことを『陽炎』と話しました。
『陽炎』は彼女の決意を聞いて次のように言葉を発しました。

――君が決めたなら、それが正しい。

――君が決めたなら、わたしは終わりでいい。ただ、次がないと、いいな。

(「終わり」とは「二人の旅の終わり」などを指すものと思われます)

 彼女の決意を理解し、自ら彼女を殺す役割を引き受けることにした『陽炎』に向けて、彼女は次のように言葉をかけました。

――うん、それでいいのさ。

『陽炎』は彼女を塩の大地まで連れ出しました。(塩の大地へは彼女一人では行けないので『陽炎』が「連れ出した」という表現になります)
 彼女は純粋概念を使って、とある行動をとりました。
 その結果、彼女の肉体が彼女の予想通りに暴走を始めました。
『陽炎』は約束通りに彼女の肉体に『塩の剣』を突き刺し、人災の拡大を止めました。これができるように、一連の事は『塩の剣』のある場所で行う必要がありました。

 小説4巻では、これらの順序を故意に入れ替えて描写することで、ミスリードをしているということです。


信じるに足る創作物

 本作に巧みに織り込まれている驚きと楽しみの中の、ひとつだけを試しにご紹介しました。
 とはいえ、この解釈で合っているかどうかの答え合わせができているわけではありません。
 皆さんそれぞれの答えを見付けてみてください。

 世の中にはたくさんの創作物があります。その中には設定や描写に矛盾があるとしか思えないものも、もしかしたらあるかもしれません。
 それらも、決して作者が故意に、悪意をもってそのようにしたとは思いません。

 例えば、長年に渡って続いているシリーズにおいて、登場人物たちはほとんど年齢を重ねていないはずなのに、いつの間にか携帯電話を持ち始め、それがスマートフォンに変わっていく。そのような設定の変化は、読者の側が違和感なく物語に入っていくために必要でしょう。
 世界や過去の謎を思わせぶりに登場させておきながら、それらについて最後まで説明することはなく、登場人物のやり取りやアクションなどを楽しんでもらう。そういう作品もあるでしょう。

 ただ、そういった例に慣れてしまうことで、本作のような物語に出会った時に「どうせ謎や伏線は放っておかれるか、後付けのものが出てくるんでしょう? もう期待しない」と読み進めなかったり「雰囲気だけ楽しめればいいから、細かいところは気にしない」と流し読みしてしまうのは、もったいないと思うのです。

『処刑少女の生きる道』は、信じるに足る創作物です。
 あなたの貴重な時間を費やす対象として、せっかくですからこのような作品を選んでみませんか。

コミカライズ1巻 第17話より
グリザリカ編の一つの物語の結末が、シリーズ全体の始まりを表している。
半信半疑でも構わない。
それがいつであっても、あなたが共に踏み出す時が、彼女たちの旅の始まりなのだ。

 紹介した要素に既に気付いていたという方、更に深く理解されているという方も、ここまでお付き合いいただけたなら光栄です。
 長く続く道を、これからも一緒に楽しんでいきましょう。


 お読みいただき、ありがとうございました。
『処刑少女の考察道オタロード』の更新はTwitterでもおしらせしています。次回の記事でまたお会いしましょう。

写真素材:写真AC nom nom
イラスト素材:イラストAC 林みそ 様・如月ガラス 様、いらすとや  様


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