久しぶりの休暇に思ったこと感じたこと
フリーランスのWebライターとして活動を始めて約1年半が経とうとしている。活動を始めた頃はまさかここまでSEO記事に携わることになるとは思っていなかったし、月収も当然予想していなかった。
でも、それよりもずっと、はるかに予想していなかったことが、「半年間ほとんど本が読めない」ということだった。
ライターの活動を始めるにあたって、僕は会社員を辞めることを決意していたから、当然のように読書の時間も増えるものだと思っていた。
でも有り難いことに多くの仕事をいただけて、色んな経験をさせていただいて、半年近く止むことのない案件依頼と、タイピングを行っていた。そして最近ふと休みができた。
常に何かの案件に対する構成作成やライティングを行っていたから、旅行中だろうが、温泉の足湯に浸かろうが、常に案件のことを考えていた。そして今やっと、約1年半前の感覚に戻りつつある。
幸か不幸か、僕に訪れた久しぶりの休暇で気付いたこと、思ったことを少し書いてみることにする。
今年2月が最もピークだったらしい。
ATOKは休まず記録してくれた。
ちなみにキータイプ数は70万を超えていた。。
恐ろしい。。笑
積読本が100冊を超えていた
始めに驚いたのが、積読本が100冊を超えていたこと。僕は興味があることをすぐに調べる癖があって、普段はGoogle検索で済ませるんだけど、解決しないことは本を買って調べるようにしている。これは大学時代に身についた習慣だ。
大学時代は本当にお金がなくて、沖縄県北部にある大学から、沖縄県中部の宜野湾市という町にある「じのん」という古本屋に行っては「3冊100円」の付箋が貼ってある本ばかりあさっていた。
見かねたゼミの教授が「1冊100円の古本には、100円の価値があるから100円なのであって、いつまでも3冊100円の本ばかり買っていては、1冊100円の本に出会うことはないよ」と言ったことを今でも覚えている。彼は僕の恩師の1人である。
彼のそうした助言がいくつもあり、僕は徐々に「自分で物事を考える人間」になっていった。そしてその数年後、僕はPC1つで生計が立てられる仕事に注力し、今の状態に至っている。
僕がライターの仕事にこだわり、フリーランスを目指した背景には、もう1人の恩師の存在があるが、彼の話はとても長くなるのでいつかの話に取っておきたい。
少し話が逸れてしまったが、僕はこの折になってようやく積読本が100冊を超えていたことを知った。視点を変えれば、この折になって、ようやく100冊の本を数えるほど暇になった、ということでもある。飼っている猫が「積読タワー」を蹴り飛ばした時でさえ、僕はその本の数を数えようとはしなかったのだから、本当にどうかしていたと思う。
構造はあまり変わっていない
ここが今回色々と考えるポイントになったことだが、僕はこれだけ仕事を続けてきて、構造的には約1年半前とあまり変わっていないことに気付いた。一言でいえば「クライアントワーク」になるが、「案件を受注して仕事をしている」という構造は1年半前と変わっていないのだ。
クライアントワークについてどうこう言っているのではなく(むしろGoodpatchさんの記事のように、クライアントワークは素晴らしいと思っている)、1人のフリーランスとして、サービスを作ってこなかった自分を省みる必要があると思ったのだ。
自分のサービスを展開するのはとても勇気がいることだと思う。僕はそのことについてトラウマがあって、過去に仲の良かった友人と縁が切れてしまったことがある。お互いに原因はあったけど、そのことがきっかけで自分のサービスを売り出すのがこわくなった
僕はその時から、ある意味逃げていたのかもしれない。ある映像や情景がまたフラッシュバックするようで、避けたかったのかもしれない。
でも今回休みが出来たことによって、また何か状況を変えていかなければいけない、という思いになった。今でも自身のサービスを売り出すのはこわいけど、少しずつ自分がしてきたことを、サービスとして提供していきたいと考えている。
残るもの、変わっていくもの
束の間の休暇にはなると思うけど、これからは「誰のために」「何をしたいのか」をもっと考えていきたいと思う。そして、そこに責任が持てる人間になりたい。
SEO記事の構成作成や執筆には意義を感じるし、これからも続けていくとは思うけど、改めて方向性を定めたいと思っている。自分はどうしたいのか、何を大切にして生きていきたいのか。何を愛でたいのか、何を守りたいのか。
本質はぶれずに、変化し続ける存在でありたい。
よし、とりあえず本読もーっと。
今後もwebライター/発注者としてのリアルを綴った話題、未来予測を投稿していきます。応援よろしくお願いします。