オダサクの星【随筆】

 山あいのトンネルをこえると、車窓からの風景で、大阪府になったことが、すぐにわかる。市内までは、電車にゆられて、小一時間ほどだ。
 天王寺から、地下鉄にのって淀屋橋へ、オフィス街の中之島を歩き、めざすは、大阪市立科学館である。
 マスクのせいで、息がはずむ。ついに、「オダサク」の「星の劇場」が、そこにーー
 大阪生まれの小説家、「オダサク」こと、織田作之助。戦禍のつめあとがのこるなかで、文学の可能性を追及し、三十三年の生涯をとじた。強烈なきらめきは、令和の人びとをもひきつけている。
 田舎にすまう私は、全集を迎えてしまうほど、熱をあげていた。オダサクの書きぶりは、どんなときも気味がよく、暗がりでもあかるかった。
 大阪市立科学館の前身、電気科学館には、日本初のプラネタリウムがあった。そのプラネタリウムをモチーフにした、オダサクの小説が、原稿用紙にしてたった一枚の短編、「星の劇場」である。プラネタリウムにおける、「夜のリアリティは真に迫っていたのである」と、むすばれており、オダサクらしいロマンがある、この小説が好きだった。
 いつか、ゆかりのプラネタリウムへ……と、思っていたが、新型コロナウイルスの跋扈によって、望みは失せた。
 不要不急なあれこれに、自粛の嵐がふき、世のなかは、変貌をとげた。ニュースでは、医療の逼迫がつたえられ、信じられないくらい、感染者の数がふくれあがった。
 ゆるやかに死んでいく日々、未来がわからなくなっていた。
 ベッドにたおれ伏し、ばふばふともがいてみる。乱れた自室、疲弊しきった目にふと映ったものは、オダサクの全集だった。
 ページをめくると、大阪がなつかしくなった。もういいや、プラネタリウムにかけこもう、なかば、やけになって決めた。
 ぴったりとマスクをつけ、電車にのりこんだ私は、ようよう、大阪市立科学館にたどりついた。
 プラネタリウムは、映画館のようにひろかった。うしろのほうのいすに、からだをあずけると、まもなく、あべのハルカスが目立つ夕闇が、ドームにうつしだされた。うまくできているなと、感心した。
 解説を担当する、若い学芸員さんが、やさしくたずねる。 
「いちばんぼしは、どこでしょうか」
 ぴっと指さしたのは、子どもたちだった。
「あっ、あそこや!」 
「ほんまや」
つぎからつぎへと、ちいさな指はふえ、はしゃいでいた。
 あどけない光景をみていると、たしかに、あれは、いちばんぼしだな、という思想が、すさんでいた私にも、浮きあがってきた。
 それから、月がうごいて、深夜になった。「もし、光源がひとつもなかったら」と、学芸員さんが合図を送ると、こぼれるような星が、あたり一面に、ひしめいた。
 あえかな瞬きが、しきりに呼びかわす。目をみひらいた私は、ふるえるほどに、「星の劇場」を感じた。
「リアリティは真に迫っていた……」
 まっすぐに、ロマンを書いたオダサク、あとに生まれた私が、オダサクの小説を読んで、プラネタリウムをながめている。あらかじめ、決められていたわけではない、偶然のひとかけらが、オダサクと私を、電気のようにむすんだ。
 過去のかさなりが、現在をつくり、とめどなく、めぐっているのだ。
 オダサクは、未来をのこした。まっ暗やみでへこたれている私は、これから、どうするつもりーー
 時をこえて、ながれ星が、ぱっと光る。可能性のともしびが、ゆくりなくも、胸をあたためていた。
「おはようございます」
 学芸員さんが、目覚めのあいさつをし、星の旅はおわった。
 ひとり、私は泣いていた。鼻水をすすりながら、席を立った。
 中之島のビルのあいま、横断歩道の信号がちかちかして、赤になる。
 いつもの日々が、また、やってくるだろう。
 手放しに、マスクは捨てられない。みな、いろんな事情をかかえながら、この時代を生きている。
 今夜、うちに帰ったら、いちばんぼしを探して、指さしてみよう、あの子どもたちのように。
 青になった。昼の天気はまぶしい、私は、こころよく歩きだした。 

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