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TIPS:理解って何?

はじめに

おばんです、今回はTIPSということで、少し軽めの話題について書いてみようと思います。

君は誰?

もともと、ニコニコ動画で活動していた動画製作者です。
主に、応用数学の動画を作成しています。

他には、2018年にYoutubeにも動画投稿を始めたのですが、Vtuberブームにのって、応用数学qVtuberを名乗りました。そして、VRアカデミアに出会い、現在は「ふくがくちょー」として運営に関わっています。VRアカデミアについては以前公開した記事を参照ください。

このTIPSを書くことになったきっかけ

前回、学術における専門性とエンターテイメント性の間にトレードオフが存在すると捉えた場合に、クリエーターが何を意識する必要があるのか、という問題について書きました。

ここでは「浅い理解」と「深い理解」の二項対立という図式を前提として議論を展開しましたが、これはかなり単純化された問題の捉え方です。実際は「理解」にはグラデーションが存在し、さらにそれを突き詰めるとそもそも「理解とは何か」という問題に取り組む必要が出てきます。

この問題についても前回に引き続き「VRアカデミア」と「学術系イベントコミュニティ」のdiscordサーバーにて、意見を募りました。

その結果、ありがたいことに多くの方から様々なコメントを頂くことができました。このNoteでは、頂いたコメントを私なりに咀嚼し、ある程度わかりやすい形でまとめさせて頂きます。

※私の解釈というフィルターを通しているため、頂いたコメントの本意からは逸れる内容が含まれる可能性があります。

1.「理解」とは何か

そもそも「理解」あるいは「理解したと言える状況」とはどのようなものなのでしょうか?その問いに寄せられたコメントををまとめます。

  • 仕組みが分かったら

  • 自分が既に知っていることと繋がって、知識全体の中でどの辺りに位置するのかがわかったら

  • 自分の知識の欠けている部分に気付いて、そこを埋められたら

  • その人にとって正しいと信じるに値することが得られたら

  • 自分の言葉で説明できるようになったら

  • 図で表せるようになったら

  • 将来予測ができるようになったら

  • 行動に落とし込むことができるようになったら

  • 何かが新しく可能になったら

  • 知見を応用できるようになったら

  • 現象をコントロールできるようになったら

  • テストなどの点数をとれるようになったら

これらのコメントは理解についての複数の側面を含んでいると考えられますので、その分離を試みます。

まず、「主観の中で納得できたら」という側面です。これはどのような形であれ本人の中で「仕組み」「正しいこと」「既存知識との関連性」等が分かったと思えればよい、というイメージです。雑に言えば「手品のタネが分かったら」というイメージに近く、その「理解」と「自身が手品を演じられるようになること」とは別のことです。

次に、「良いモデルを得たら」という側面があります。即ち、複雑な現象を単純化して本質的な部分を抽出できればよい、というイメージです。ここで重要なことは「良さ」は一つではないことです。「人間に与える納得感の高さ」「予測性の高さ」などが考えられます。例えば、良い予測を与えるモデルは必ずしも良い納得感を与えるモデルであるとは限りません。

最後が、「操作的定義としての理解」という側面です。即ち「知能とは知能検査で測定されるものである」とか「温度とは温度計で測定される数値である」のように、「理解をテストで点数をとれることである」として実務的に定義してしまうという考え方です。

2.理解の多義性

行動生態学では「ティンバーゲンの4つのなぜ」という考え方が知られています。これは、生命現象の理解を、以下の4つの視点から行うことができるという考え方です(若干のアレンジを加えています)

  • 至近要因:メカニズムは何か

  • 発達要因:一生の中でどんな発達をたどり完成されるのか

  • 究極要因:どのような適応的、進化的意味を持つのか

  • 歴史要因:祖先からどのように進化したのか

この考え方を、例えば社会的な現象にあてはめると

  • 機構:それを実現するメカニズムやルールはなんのか

  • 学習:どのようにエージェントがその振る舞いを習得するのか

  • 利害:どのような利害関係のもとでそれが実現、維持されるのか

  • 歴史:どのような歴史的経緯でそれが行われるようになったのか

というふうな視点を考えることができるかと思います。仮に「主観による納得」を考える場合、どの視点が明らかになれば「納得」が得られるのかは人によって異なるわけです。

3.モデル化と理解

先程、理解における「モデル化≒現象の単純化」の重要性を指摘しました。この点についてもう少し掘り下げて考えてみることにします。まず、学術研究には

  • 要素を抽出した上でモデル化してこれを調べる

  • データを分析してそれを出力したシステムを調べる

という二つのアプローチが存在すると考えられます。前者については非常に多くの要因が複雑に絡み合った現象(自然)を人間の能力ではそのまま取り扱うことができないため、重要であると考えられる要因を抽出してモデルを作り、そのモデルにより現象を理解しようというアプローチです。

一方で、後者は「自然」からサンプルされたデータを用い、それを出力したシステム(自然)を捉えようというアプローチです。こちらは「部分」から「全体」を推測しようとする時点で、情報が足りないことが明らかです。そのため、まずデータと矛盾しない複数のモデルを候補として考え、それらの中から、何かしらの基準で評価したときに「良い」モデルを選択するということになります。

このように、どちらのアプローチについても、最終的には人間がモデルを作るという営みそのものが「理解」と等価となります。このモデル化方法には任意性があるため、「複数のモデルを比較して何かしらの基準で評価して良いモデルを選ぶ」必要があります。結果として、この評価の「基準」により「理解」の定義が異なることになります。

この評価基準として良く使われるのが、先程紹介した「人間に与える納得感の高さ」と「予測性の高さ」です。特に、前者は複雑な真実を人間が扱える程度に簡易化することだと解釈できて、これは「ストーリー化」のことだと言えます。

4.正確性の担保、不正確性のバッファー

人間が自然を「理解」する場合、人間に扱いきれない複雑さをストーリー化(モデル化、単純化)するというプロセスを伴います。この情報の削減プロセスはさらに、知識を他人と共有する場合にも生じます。例えば、基礎知識の積み上げが必要である学術を簡易な形で一般市民に発信する場合、ある種のストーリー化や単純化は必須であると言えるでしょう。

ですが、このような情報発信の際に必然的に生じる情報量の削減は、正確性の欠損を引き起こし、誤解を招く温床になる可能性があります。このような問題が起こらないように、正確性を担保あるいは不正確性をバッファーする工夫について、コメントを頂いたので、それらをまとめます。

  • そもそも誤解を極力少なく単純化できるのが専門家であり、そうすることが発信する専門家の務めだと思う

  • 可能な限り情報を圧縮せず、十分な時間、十分な文量を費やして、時間や文字数が足りないなら最初から深入りせず可能なリソース内で完結できる範囲に留める

  • 誤解を招くことは避けられないが、誤解を解くまで発信し続ける

  • 質問にはトコトン付き合う

  • 色々な濃度のコンテンツを準備しておく

  • 参考文献をつけて、これを紹介する時間をつくる

  • シリーズものにして、前回の復習を行いながら進める

  • ストーリーばかりを重視しないで、データを使い分析することも重視する

これらのコメントは「情報発信を丁寧に行う」ことと「コンテンツを工夫して作成する」という二つに大別できるように思われます。

特に後者について、大多数の視聴者はコンテンツを流し見するため、断片的な情報で判断されたり、細かい資料までは見てもらえないという問題があります。この点に関しては、以下のコメントが寄せられました。

  • 自分が視聴者であったなら、どうすれば参考文献を読んだり、自分で調べ物をする機会を増えるか考えて紹介する

  • 「正しいことをすれば、正しい結果が出力される」という風に、現実はわかりやすい世界ではなく「そうあってほしい確率を高める」以上のことはできない(馬を泉まで先導することはできるが、馬に水を飲ませることはできない)

  • たくさん動画を観てくれる方までが、その時点で影響を及ぼせる範囲の限界なのだと思う

  • 専門家が見て大きな言い直しや修正が出来るのであれば、それはするべき。というやることベースの判断で、どんどんやっていくのが大事かと思う

また、ここでは情報の正確性を重視した議論を展開しましたが、人命に関わる医療の世界などでは「正確な理解よりも、治療前後、そして一生で相対的に最も幸せな時間を過ごしてもらうことをゴールとすべき」というコメントも頂きました。

5.おわりに

このTIPSでは、「理解とは何か」という問いから初めて、理解とモデル化の関係、そしてモデル化がもたらす必然的な情報の削減を如何にフォローすべきなのか、ということについて書きました。そこでは「モデル」を自明の概念として使っており、そもそも「モデル」とは何なのか、ということについてはあまり詳しく触れていません。ですが「モデル」は学術や私たちの「理解」を考えるにあたり非常に重要な概念であるため、機会があれば、「モデル」についてより詳細な文章がかければと考えています。

謝辞

この文章を書くにあたり、「VRアカデミアdiscordキャンパス」と「学術系イベントコミュニティ」の参加者より頂いたご意見を参考にしました。以下の方々に感謝申し上げます。

敬称略:固体量子、視点学たん、あしやまひろこ、はすきぃ、法月ロイ、片柳英樹、水出博雄、るいざ・しゃーろっと、朱玲華、楓ヒナギク、Unferth、天野ステラ


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