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やっと言えた

お恥ずかしながらFunky8というものを手放すのが結構早かったオタクである。ここ数日パブサで「今でもなんでデビューできなかったか不思議」「亡霊だよ🥺🥺🥺」みたいなツイートを見るたび(こういうツイートをする人はそもそも性質が違う気はするのだけれど)、私はそうじゃなかったな、という苦い気持ちが胸にある。

もともと末澤くんが得意ではなく、それでもFunky8全員を大好きになってしまったのが2016年頃。3人だけが福岡に行った2016ジャニフワ、4人がメイン曲をもらえなかった2016冬(4:2:2)、銀二貫…とにかく常に見えない序列は変動していた。
多分好きのピークは2017年のはじめ、なうぇすと横浜と京都マラソンだと思う。なうぇすとは(少なくとも春松竹がわかるまでは)綺麗な横並びで、4人が松竹座でやってくれたHairを8人でやった。最初にあのイントロが聞こえたとき、「先輩のバックでキスマイの曲をやる(しかも脱ぐ)」という本気度に、今なら出せない周波数の悲鳴をあげて、その日初対面の末澤担さんと手を取って飛び上がりながら喜んだ。

2017の春あたりで、事務所はどう考えてもこれを進める気がないのだな、というのはわかった。いや、それより前からわかってはいたけれど。このあたりで丁寧に丁寧に叩き潰されたと思う。
そんな中で、Kicyuの披露はできなくなるものの、それでも松竹にいる今江くんはどういうポジションなのだろう、と思った。でもここで残らないと、こっちに残らないといけないのだ、と歯を食いしばった。

かつて大橋担の友人にいわれた、「Funkyでソロコンやりたいとかみんな言うけど、そもそも8人で1曲も松竹で披露してないのにできるわけなくない?」という言葉が刺さって抜けなかった。多分、それを聞いたときに最初に諦めたのだと思う。

常にずっといろんな変動があって、2018秋までうちの子は基本的に5~3番手あたりを行き来していたと思う。担当本人は「みんなで」「8人で」といってくれているが、私はそんなに悠長なことは言ってられないぞと思っていた。実質3番手になったときなんか(事務所的には3番手にしているつもりなんて1mmもなかっただろうが)それはそれはもう嬉しくて、もう絶対ここにしがみつくぞと、振り落とされてたまるもんかと、勝手に闘志を燃やしていたのだ。

だってあの時代にFunky8に縋るのは、特に「上に残れるかわからない者」にとっては厳しかった。縋ることで振り落とされるなら、喜んで他を切る、と、思う。本人がどうかなんて知らない。オタクがそうだという話である。
友人たちと違う現場に行くことが増える。バックを追いかけ全国行脚する友人と、松竹に通う自分。多分松竹にいるのが正解で、松竹でフォトセが出るのが正解だった。

2017冬、2018春、2018夏。
シンメに足を引っ張られたと思っていないといったらウソだ。呪いながら祈り、大好きだった人を苦手になり、この時代そんな相手に1円もお金を落としたくなくて、シンメと映っている写真は(※この時代ほぼ全部)1枚も買わなかったから、この時代の写真だけ全然持っていない。
18年夏、3曲の新曲があって、バックにもつけなくて、うちらシンメは一番出番が少なかった。ヤバいなあ、と思った。次松竹座があったら出られるかわからないぞと。

18年10月。友人に「せりはTwitterを見るな」とLINEが来た。ただ、いずれ知ることになるだろう、とも。Twitterは見なかったのに、Yahoo!で被弾してしまった。「なにわ男子 関連ワード:なにわ皇子 Funky8」これでだいたいすべてを察した。

頭がふつふつと沸騰したかと思えば、ドライアイスを浴びせられたかのように冷える。仕事がまったく手につかず、呪詛の言葉をふるえる手で書きなぐったメモ帳がまだ手元にある。「業務効率を落とすわけにはいかない」なんて、全く叶わなかった文がある。

しかし、今考えると18年秋、冬、19年あけおめは割と平和だった。トロッコ日替わりじゃないんだな、と思いつつ、滝沢歌舞伎に通って最高の思い出を作った次の次の日。地獄の底に突き落とされる。
何が厄介って、この時はTwitterを見てしまった。名前を一つずつ追いかけて、自担がいないことを認識してしまった。シャワーに入ろうと思いながら1時間風呂場の床でTwitterをし、泣きながらシャワーに入った。

19年春。グループができると瞬く間に出番は逆転した。クソみたいだなと思った。もしも塾があったことが希望だった。そのあとひと夏、8/8まで、私のTwitterはほぼ開店休業状態、Twitterアカウントを削除しては1か月に1回復活させていた。辛いときに頑張ることをしないタイプのオタクなので、横尾担としてのアカウントばかり動かしており、ほとんど記録がない。

昨日のことのようにすべて思い出せる。自分も、担当も、何一つ悪くない、誰かが悪いわけじゃない、でも好きなタレントたち誰のせいにもしたくないから、自分のせいにしてしまうよ。頭でっかちな自分のエゴが大嫌いになってしまった。

2020年になっても…というか、2023年になるまで、それは変わらなかったと思う。「和くん」「誠也くん」「リチャくん」なんて知らない。「Funky」を正しくスペることもできないのに、エモをすする人なんて知らない。本当の同志たちは、察してか察さずか、「F8」「F…」と伏せていうことがほとんどだった。

呪うのに時間を使うのって愚かだし、呪うことで一層惨めに感じる。足元を見られるのだけは嫌なのだ。私は友人のように、2018年10月5日までFunkyの存在を信じていたオタクではない。先述のようにさっさと手を放し、なんなら他を一人でも減らすことで、上にあがれるチャンスがあると思っていたタイプのオタクだ。でもだからこそ、友人みたいに「楽しかったよ!お疲れ!やりきった!」とは言えなかった。むしろ「今度こそ見下されるんだ」と存在しない仮想敵を作り、怯えていた。

過去の映像を見ることはできた。でも、見ていると途中から辛くなって泣けてくるのだ。皆はグループができて、「メンバー」がいて、「メンバーカラー」があって。そうじゃなくても自分の夢を追いかけ各々頑張っている。
担降りした友達は新たなジャンルの推しがいてそこの世界があって、同じ子を推している友達にも、新曲とか、ツアーとか、デビューとか、なんかそういう、私には知らない世界がある。
役者転身以降は楽になったとはいえ、2022年1月、うちだけが最後まで「関西ジャニーズJr.(無所属)」のままなんだ、と気づいたとき、雷に撃たれたような衝撃が走った。8人もいたのに。一時は結構いいところまでいったと、少なくとも私は思っていたのに。まさか残るのがうちだなんて想像もしていなかった。
もちろん、だからといって今更やめてほしいのではない。「退所した?」といわれれば反論ブチギレふぁぼを飛ばし、知らぬエモを啜られればブチギれ、信じるものは担当だけで、とりあえず一刻も早くデビューしてくれ、この状況から脱却してくれ、絶対このままいったらできるのはわかっているけれど、万が一があったら怖いから、早くデビューしてくれ、明日デビューしてくれ、と毎日毎日言い続けていた。

2023年1月1日。ドームの円盤を見た。なにわやAぇのパフォーマンスを飛ばさなくても聴けるようになった。心臓も苦しくならないし、泣きたくもならない。
やっと、「なにわ男子デビューおめでとう」と思えた。やっと、Aぇはやくデビューしてくんないかな、と思えた。
なにわやAぇのパフォーマンスを見る。丈橋だって、末リチャだって、いつだってやっぱり目を惹く踊りをする。
SNSで、円盤で、他3人の踊りを見る機会もある。いつだって最後に見たときよりうまくなっている。
当たり前だ。何度も、何度も見た、踊りがめちゃくちゃうまい8人なんだから、当たり前だ。

1月7日。『12人のおかしな大阪人』のパンフを読んで泣いた。好きになってから、多分一度だって、全員嫌いだったことなんてない。でも、全員を好きでいるというのはそれはそれは難しく、汚い汚い感情に心を支配されないようにするので精一杯だった、なんていうのは言い訳にしかならないだろう。
担当の言葉はとてもとてもきれいだった。

そして5月4日深夜、レコメン!。担当の全国放送の冠ラジオ(未だにその事実に飛びあがりそうになる)である。のれんの話をするというので、これまで聞いた範囲の話だろうだなんてたかをくくっていたら、本人の口から語られたのはFunky8の歴史だった。

事務所の箝口令(察してはいた)や、辞めようとしていた(ほんまか?!と思ってしまった)等聞いたことない情報が次から次へとボンボンと出てきて、もうなんか笑うことしかできなくてずっとTwitterで草をはやしていた。
朝起きたらTwitterが大騒ぎになっていた。なにわ、Aぇ! および関西系列の大手アカウントはもちろん、他のジャンルにうつった当時のFunky8オタクさんたちまで浮上してくるお祭りに。口々に皆が当時のことを話す。夢心地だった。

結果論になるけれど、担当が話せる立場になったこと、立場にいること、本当にありがたいことだなあと思うし、それをありがたいと思ってくれる(主に4人の)オタクにも本当に感謝したい。

多分圧倒的な独り相撲で、私だけが勝手に怒って喜んで疑って見下して突き落とされてとしていただけなのだけれど、それでも。2023年、いま、ようやくあの時が楽しかった、あの時が無駄じゃなかった、あの時って「バカみたい」じゃなかった、そんな許しを得ている気持ちなのだ。
そして、それを話しているのが、非公式のメンカラを背負ったまま卒業し、ブログやレコメンのイメージカラーに緑を背負う、わが担当なのだ。

8人がいつかどこかで飲みに行ける、そういう関係性がどこかで続いている、そういう担当の言葉を聴きながら、脳内に「アイドル」が流れた。


レコメン! 24時~25時 | ラジオ関西 | 2023/05/04/木 24:00-25:00


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