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【特撮の話】「仮面ライダーオーズ/OOO 10th 復活のコアメダル」は望んだいつかの明日なのか(ネタバレあり)

「仮面ライダーオーズ/OOO」は、リアルタイムでTV/映画を全部見ていて、後の映画などで客演があるのを度々楽しみにしていた、仮面ライダーシリーズの中でも思い入れが強い作品です。

変身アイテムとして発売された「オーメダル」が、当時の1円玉よりも多く生産されていた、なんてニュースもありましたね。

そんなオーズが10周年を迎え、制作が発表された記念作品「仮面ライダーオーズ/OOO 10th 復活のコアメダル」が公開。
SNS上での意見が賛否両論あり、些か不安な気持ちで見てきましたので感想を述べていきたいと思います。
いかんせん内容が内容なのでネタバレ無しでは語れません。

当時のキャストが総出演

まず、いいところを先に述べると、本編のメインキャストたちが総出演していること。本編の話の展開上、真木博士役の神尾佑さんはまあ仕方ないとしても、あの頃見ていたキャストたちがそのまま出てくれていることは素直に感動しました。というか見た目が変わらなさすぎてビックリ。

当時の雰囲気はそのままに、年月を経てそれぞれが大人になり、貫禄や色気を増し、より作品に深みをもたらす存在になれていることに感銘を受けました。特に泉比奈役の高田里穂さんは、10代だった当時とは比べ物にならないほど大人の色気を身にまとっており、悲しい雰囲気が漂う今作の中で映司とアンクにとっての希望を見いだせる存在としての役割を全うしていたのがとても良かったです。

話の都合上、本編と同じままではいられないのは少し残念ですし、グリード役の4人に関しては時間の都合上ほとんど活躍のないまま退場してしまったのもやや不満。ウヴァ以外に至ってはほとんど戦ってないし。

「火野映司の活躍」は見られていない

本作の大きな不満点の一つとして、「火野映司の活躍がほとんどない」ことが挙げられます。

主役である火野映司は、物語開始以前のモノローグで瀕死の重傷を負っており、身体の実権を握っているのは、彼の体内に潜んだメダルが生んだグリード「ゴーダ」です。

序盤の登場シーンから「火野映司ではない何か」を指し示すような、本来の映司では絶対にありえない動き、セリフ、態度が表層的に現れているのですが、全体の90%近くが、この違和感のある状態なのがよろしくない。

本編中に合ったシーンのオマージュ的に盛り込まれているアンクや他のキャラクター達との絡みが、全て「火野映司」ではないのが、こちらが求めていた内容では絶対にないはずです。
アンクにアイスをあげる、メダルを受け取って変身する、変身してグリードと戦うのも全てゴーダ。終盤のタジャドルコンボエタニティでの戦いも、どちらかというとアンクの意識のもとで行っているものでしたし。

真っ当な火野映司としての動きは、モノローグ中の活躍、アンクと融合した状態、ラストシーンのみ。本編のように元気に笑っていて、誰かのために明日を守る映司の姿は、どこにも無いのがただただ悲しいです。

ファンが望んでいない結末

本作では、これまでの作品で望まれていたアンクの復活と引き換えに、主人公たる火野映司の「死」という衝撃的な結末が描かれました。

確かに、これまでの活躍や自分を犠牲にしてまでも他の人を救いたい、思う映司の欲望の強さを見る限りでは、ありえる形ではあると思うのです。

ただ、忘れないでほしいのが「10周年記念で作られたファンのためにある作品」であるということ。

自分含め多くのファンが待ち望んでいたのは「アンクが復活し映司とともにオーズとして活躍できる明日」「映司、アンク、比奈が3人で手を取り合って笑い合える明日」であったはずです。

後述しますが、過去にオーズが客演した劇場作品でも、一時的なアンクの復活や、それによってもたらされる「いつかの明日」が示されており、ある種希望が見える形になっていたと思います。

それなのに、あえてその流れには乗らなかった。脚本を考えた上で乗れなかったのかもしれませんが、期待値をガクッと落とす形になったのは、良い選択だとはどうしても思えません。

劇場版を経た世界線か?

本作のストーリーを評価する上で外せないのが、「過去の劇場版を経ての世界線か」ということ。

ここでは直接的に本編の後日譚となっている「仮面ライダー×仮面ライダー フォーゼ&オーズ MOVIE大戦 MEGA MAX」を挙げますが、その中では「明日のパンツとは今日をちゃんと生きて明日へ行くための覚悟」、「いつかの明日とは、メダルがもとに戻ってアンクにまた会えること」が明示されていました。

この、「明日へ行く」「アンクとまた会う」というのが強く提示されていることが大きな違いとしてあり、これがあるのと無いのとで映司の死が肯定的に受け入れられるかどうかが変わってきます。ここで表してくれた「いつかの明日」という概念が、本作のような解釈で答えとして提示されるのが残念でなりません。

というより、MEGA MAXを経ていないと、モノローグで映司が変身できることに対して説明ができないはず。そうじゃなくても矛盾点はいっぱいあるんだと思いますが。

今後の客演はナシ?

見終わった後にメタ的に考えてしまうのが、「今後他の作品での客演はないのか?」という問題です。

いかんせん主人公が死ぬ、というのがかなり珍しい仮面ライダーシリーズ。
仮に死んだとしてもパラレルワールドだから出演がOKだったり、敵の力で傀儡のような形で現れたりと方法はあるのでしょうが、この結末を見る限りでは、「火野映司の復活」が今後描かれたとして、純粋に喜べるものではなくなってしまいそうです。

あれだけ劇的な最期を迎え、墓標まで立てられた映司が軽々しく復活することが、「キャラクターに対する冒涜」に見えてしまうのではないかと考えてしまいます。

おわりに

色々書いた上でかなり否定によった文章になってしまいましたが、個人的にはひとつの結末の形としてはアリ、10周年記念の作品としてはナシです。

ほぼ満員となった劇場の中で、見終わったあとに「面白かった」と声を上げる人も、意気揚々と感想を言い合う姿も見受けられませんでした。みんながみんな、目の前で起こった事実を受け入れられないでいるような異様な空気感の中で会場を後にしていたのが強く印象に残っています。

10年の月日を経て待ち望んだ新作が果たして楽しめるものだったのか、オーズを愛しているファンのためにと制作陣が選んだ選択が果たして正解だったのか。

この作品を経た上で、「仮面ライダーオーズ/OOO」がこれからも末永く愛される作品であり続けることを切に願っています。


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