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3度目の月命日

今日は2022年5月27日に旅立った愛犬の3度目の月命日
…早いものと捉えるのが良いかまだ3ヶ月しか経っていないと捉えた方が適切なのか?よくわかっていない

愛犬が存命の頃は毎朝午前4時台には起きていて。朝のお勤めのように渋谷駅まで歩いて行って戻ってくる運動を繰り返しており。平均的な睡眠時間も4時間ほどだった。これは別に愛犬の介護のために睡眠時間を削っているのではなく、眠りと言う行為に集中できなかったのだけど

最近は少なくとも6時間は寝ている。午前4時台に起きて渋谷駅まで歩くなど…考えられない(笑)。「なんでそんな奇特なことを…」と思ってしまう

昨年の9月に実父を亡くし、そして愛犬の旅立ちの気配を感じていた頃は…たぶん迫り来る最後の瞬間に備え身体と心を鍛えていたのだろう。辛いこと、苦しいことを日々の生活の中に置き、愛犬を失う苦しみもその中のひとつとしていたのだと思う

現実として愛犬の死が訪れ
受け入れる、受け入れられないは置いておいて愛犬の姿はこの世から無くなり。そして一日が過ぎ、違う一日が訪れる。望む望まずを問わず日々の営みは繰り返され時は過ぎていく

愛犬が味わっていた「生存の苦しみ、そして旅立ちの苦しみ」はすでに無くなり、「看取る苦しみ」からは解放されたが「失った悲しみ」は残っている。…反面、私はまだ生きているわけで。幸いにして持病があるわけでも家庭や仕事に問題を抱えているわけでもなく、平穏な日々を過ごせている。愛犬を失った悲しみこそあれ、それは「生きている私」の一要素でしかなく…愛犬を失った人生が「苦しみ」であってはダメだと思う

失う恐怖に負けないよう苦しみを傍に置く生活から解放された今、愛犬と過ごした楽しかった日々を大切に、日々のささやかな楽しみや喜びを大切に生きること

次の月命日には「この1ヶ月、こんなことがあって楽しかった」と愛犬に笑顔で報告できるような日々を過ごそうと思っている

たぶん…この写真のようにスマイルで聞いてくれるはず(笑)

愛犬のいない2022年の夏の終わりに感じたこと、以上

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