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おそうじエンジェル

 週2回、その人たちはやって来て、オフィスの執務室の共用部分やラック、打ち合わせデスクなどを拭く。60代前後の女性5〜6人のワンチーム。いつも笑顔で楽しそう。幸せオーラを放ちながら、かいがいしくたち働く彼女たちを、私は密かに「おそうじエンジェル」と呼んでいた。

 今から15年前、5度目の転職で入社した会社は典型的なブラック会社だった。地方のハウスメーカーから独立したベンチャーで、マンションの住人専用のコミュニティサイトがヒットして、南青山にオフィスを構える上場企業の目にとまり、買収されて子会社になったばかり。

 入社早々、違和感を感じた。オフィスがシーンとしている。定時になっても誰も帰ろうとしない。それどころか管理職も含め、21時を過ぎても全員が黙々とパソコンに向かっている。私、こういうの苦手なんだよなぁ。
 
 試用期間を待たずに失礼することも考えたが、オフィスがある虎ノ門周辺での同僚とのランチタイムや、仕事での親会社の技術チームとのやりとりは楽しかったので、様子を見ることにした。

 2ヶ月して、オフィスは親会社が入る南青山に移転。ほぼ毎日終電近くまで働いていたが、残業代はおろか、一度半休を取ったら減給された。ブラックにも程がある。

 ある日、私を名指しでオフィスに電話がかかってきた。ヘッドハンターを名乗る男だった。
「あなたのスキルを欲しがっている会社があるんです」
おお、これが話に聞く「スカウトに見せかけたリストラ」か。中高年のお荷物社員をスカウトに見せかけて転職話を進め、内定が出て退職願いを出したところで、転職話が無くなり、元の会社にもいられなくなるというアレか。
「高いスキルをお持ちのようで、お仕事ができると評判です」
 誰のことを言っているのだ?転職を繰り返した40女の、日本における市場価値なんて自分が一番よく知っている。
「相手をお間違えではないでしょうか。私ぐらいのスキルの持ち主なんていくらでもいますよ」
「ぜひご紹介したい会社があるんです」
「どなたからお聞きになったんですか?」
 電話の主は口ごもった。
「…とある方からです」
「とある方とはどなたですか?お会いしたこともないあなたの話を鵜呑みにするとお思いですか?」
 しばしの沈黙の後、電話の主は言った。  
「…御社のスタッフの方です」
 あ〜言っちゃった。ネタ元をバラしてどうする。

 数ヶ月後、ブラック会社が親会社に吸収合併され、私をリストラしようとした管理職は他部署に移動になった。それを機に、私の職場環境は一気にホワイト化した。窓もない密室だったオフィスは、親会社の広いワンフロアの一部に組み込まれた。窓の下には赤坂御苑の緑。

 そんな時、おそうじエンジェルさんたちに出会った。笑顔で働くには職場環境って重要よね。

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