キウイのCMと腹話術

高校2年生の終わりから3年生のはじめほう、コロナが始まって学校が休校になった。そのとき、腹話術をめっちゃ練習してた。

コロナの休校中は、どうしてか分からないけどずっと、自分の思っていることが、絶対ちょっとづつ間違ってる気がどこかでしてた。だから、無意識に思考にストッパーかけて、考えすぎないようにしていた。でも楽しみにしてたことがどんどんなくなっていく中で、感覚を麻痺させることもまた、間違ってる気がして、どうしたらいいか分からなくてイライラしてた。テレビとか見たくなかったけど、外に出られない以上、メディアに触れなかったら本当に社会から切り離されちゃいそうで、勝手に強制されてる気分になって見ていた。全部のニュースからちょっとづつ、正体不明のダメージを食らってしんどかった。

そのころ、そういうニュースの間にゼスプリのキウイのCMが流れてた。初めて見たとき、あー日本の誰かがこれを作ったんだと思った。今見てもなんか泣きそうになるんだけど、コメント欄みたらそういう人いっぱいいるっぽい。キウイはアレルギーで食べれないけど笑、このCMほんとに好きすぎ、今一度みんな見なさい。

なんかもう、別次元だ。こんな世の中でも、自分がくよくよ考えてることなんかどうでもいい気がしちゃうような、別の次元のコンテンツを作ることができるんだと思った。

高校の友達には看護学科志望の人とか、教員志望の人がたくさんいたから、ちょっとでも人の役に立ちたいって思う人って、それで進路を決めることって、本当にすごいよなーってぼんやり考えながら(そういう進路を選んだ人がみんな、誰かの役に立ちたい!!って感じなのかは分からないけど)、あんまりそう思わない自分はちょっとだけやばいんだろうなって思ってた。軽度のサイコパスなのかなって思ってた。でも、医療にかかわるとか、行政や教育に関わるとかじゃなくても、ぱっと見お花畑に住んでる感じのままでも、人の役に立つことは可能なのだって、キウイのCMを見て思った。人の役に立ちたいってあんまり思わなかったのは、「役に立つ」のイメージが狭くて、自分みたいなポンコツが他の人の役に立とうとするのはおこがましいとどこかで思っていたからで、たぶん他人がどうでもいいとかではない。キウイが踊っていることで救われる人がたくさんいるのは、たぶん偶然じゃなくて、そのために頑張った人たちがいるからだ。だけどこのCMにはこれで日本を救う!みたいな気迫は全くなくて、よく考えたらずっとキウイのいいところを言ってるだけだ。そこがとてもクールだ。あくまで広告であるキウイのCMに、私は自分のできることだけをしてればいいし、それに罪悪感を覚える必要はないんだよって、でもそれでも誰かの役に立つこともできるんだよって教えられた。私は、将来、あわよくばこういうのを作るサイドに行きたいって思った。

(中略)

それで腹話術とかがんばるのです。

書いたの:にらせかんな


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?