書き重ねる:2020/11/27

同じテーマで、毎日書き始めてみる。そうしたら、文章も何か変わるのではないか?そんな好奇心で書き始めた。上手くいけば、今まで書くことができなかったことも書けるかもしれない。

しかし、書けば書くほど上手くなるとか、よくなるとかという考え方もあまり相応しくないのではないかと思い始めてきた。一番最初に書いた文章が、一番素直に書いた文章ではある。だから、後から書かれた文章がいいとは限らないし、書き重ねるほどに脱線していっているかもしれない。

じゃあ、結局書き重ねるとは言っているけど、目の前にあるのはこの文章しかない。だから、昨日書いたことや、これから書くであろうことは考えることができない。

じゃあ、結局、毎日同じテーマで書くとはどういうことなのか?考えている。そのために、この書いている時間はあるのだろう。

自分の文章を振り返る時間があったので、その時分かったことをここに書いてみる。

「たり」と書くことが多い。出来事を連ねて書く。歩いたり、聞いたり、指を動かしたり、と「たり……たり」と重ねれば文章が途切れない。書きながら考えているからこういう文章になる。

繰り返しが多い。これは、思いついていなかったり、物事を考え直したりしているときにそうなる。同じ言葉を繰り返すのも、書きながら考えているからだと思う。

普通、書く前に整理して何を書くべきかを分かっているならば、無駄に繰り返したりしないだろう。

繰り返すのは、その場で言葉の意味が変わっているからだ。書き直す代わりに、それこそ文章単位で書き重ねているのだろう。そこで、同じ言葉を書いている間にかかる時間に、考えていたり、言葉の意味を考え直したりしている。

小学校の国語の時間で、繰り返しには、強調とかリズムを取る働きがあると習った記憶がある。それ以外にも、実際にここで書き直して繰り返すことは正反対の意味ですらあると思う。

定かではないから繰り返す。書き直す。書き直すたびに、リズムは変わって、新しい繋ぎ方を考える。

以上の回想は、昨日ちょっと思ったことだから、整理された考え方である。こんな書き方をしているのは、今は疲れていたりしてその場で考える気力が起きないからである。

書きながら考える文体をつくるには、勢いが必要で、書く前に考えるとそもそもそういう文章にならない。はあ、だから頑張ってその場で考えないといけないのだけれども、考えようと意識するとなかなか上手くいかない。

というか、「考える」ってなんだ?やっぱり、これも「書くこと」と同じで頭の中でどうにかなっていることが、ひとまりになった言葉なのだろう。だから、普通に考える、と言ったところで何もわからなくて、頭の奥に意識が向かうだけかもしれない。だったら、指を動かした方が早い。書く前に考えるというけれども、書きながら考えたほうが楽なのだ。そもそも、書きながらだって考えていないかもしれない。文章を書いているだけで、本当は誰も考えていると認めることはできないかもしれない。

だから、結果だけをみてもいいし、まさに文章が起こっているその瞬間だけを味わっていればいい。

毎日、という区切りも考えるという特別な言葉も消えて、ただ指を動かすことしかできなくなった先に、そうした無垢な味わいがある。

言葉で書くことは仕方がないし、あらゆる言葉には、そうした本当には届くことができない不甲斐なさがある。だけれども、私は言葉でなんとかもがいているのも面白い。むしろ、言葉が不甲斐ないから私は限界に気がつくことができるのかもしれないし、言葉で言い切ること、言い切れないことに対して納得できるのかもしれない。

最後までお読みくださりありがとうございます。書くことについて書くこと、とても楽しいので毎日続けていきたいと思います!