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続:2月になったら何かを始める。

日曜日の朝に、わたしはnoteを開く。昨日行ったバーのことを想像する。

わたしはドアを後ろ手で閉めて、生暖かい暖房が効いた店内に入っていく。耳に飛び込んでくるのは、賑やかな話ごえだ。音楽はほとんど聞こえない。夜の派手な衣装を着た客たちが、酒の入ったグラスを片手に談笑している。その光景に、わたしは一瞬気持ちを緩める。が、しかしカウンターの席に向かうと、雑音と目線が気になる。

バーテンダーは昨日と同じようにカウンターに立っていた。その正面の席は、わたしが座るために空いている。昨日よりも客が多いからか、忙しなく酒を作る特徴的な動きをしている。隣には人がいないが、カウンターの端の方に客がちらほらいる。

これって、バーテンダーとゆっくり話せないのかな。とわたしは思った。接客で忙しそうだ。一晩明けてモヤモヤと考えていたわたしにとっては、肩透かしを食らった気分である。この状況でもはや、書く前にわたしが想定していた展開を逸脱している。

今日も昨日と同じように、バーテンダーと一対一で話すつもりだった。わたしは2月に新しいことを始めたいと、彼にいう。それがある意味、2月からわたしがすることのイントロダクションになるはずだった。

「ご注文は」

バーテンダーが声をかける。雑音の中だからか、昨日よりも声が張っていた。別人のように感じた。別人といっても、どこがどう違うのかはうまく説明できない。わたしは具体的にバーテンダーの顔を想像していないし、昨日はどんな声で話していたのかを覚えていない。

「白湯……ありますか。」

わたしは、メニューも見ずにいう。普通のバーなら白湯はないだろうと思う。しかし、昨日のわたしは白湯を飲んでいた。注文するシーンは書かなかったので、どうやって手に入れたのか自信がないが。

「少々お待ちください。」

バーテンダーは奥に引っ込んでいった。白湯を作るための用意はカウンターではできないのだろう。昨日も来たから、そのままカウンターに置いても良いはずだが。それに、ちゃんと「明日も来る」と言ったのだが。

わたしは、バーの状態を確認する。そういえば、小説の想像の世界に自分が入ってみたことはない。この世界ではわたしは何も持っていない。財布も、カバンも。そう書いた時点で、服は何を着ているのか、気になった。想像していない。しかし、何らかの服は着ているはずである。記述されていない状態のものは、小説世界において不安定なのかもしれない。

例えば、わたしが和服を着ているか、パジャマを着ているか、スーツを着ているのかは、これからの記述による。しかし、わたしはあまり服にこだわりがないので、何の服を着ているかは、想像に任せよう。読者諸兄がどんな服をわたしに着せるかにはすこし興味があるが。わたしとしては、裸でバーに来ていてもこれからの動作には問題ないと思うのだが……、しかし裸であることと、まだ想像されていないことは違う。

バーの様子に目をやってみる。目をやると言っても、バーの間取りも客の配置もよく考えていない。どんな客が何人いるかも知らない。しかしわたしはバーにいる。

わたしがバーテンダーを白湯の件で奥に引っ込ませてしまったからか、カウンターに座っている客が焦ったそうに空のグラスを弄んでいる。その客は50代ぐらいの男性で、怒ったらエネルギーがありそうで怖い。わたしのせいで待たせていることは、バーテンダーが白湯を運んできた瞬間にバレるだろう。

何だか、こう書いてしまった時点でその男性と関係がむずばれてしまったようで、さらに怖い。小説の世界ではおそらく、全く無駄な記述はされないはずだからだ。

わたしは一応、この世界での登場人物をわたしに対して友好的に設定したいと思うのだが……でも、小説だからどうでも良いと言えるかもしれない。書いているわたしには関係ない。……でも、心理的には関係あるかもしれないな。と思う。書いたことが自分の心理や考えに影響するのは今まで書いてきた経験上ありうる。何が書かれるか分からない恐怖が、おじさんの形になって具現化しているのかもしれない。

おじさんは、わたしが生み出したのにもかかわらず、わたしに何をしでかすか分からない。

バーテンダーが白湯を持ってきた。銀の丸いお盆の真ん中に白い陶器が載っている。わずかに湯気を立ち上らせている。スーツ姿の彼がそれを持っていると、不恰好である。カウンターに座っている客が、彼に目をやる。

「どうぞ」

バーテンダーが静かにわたしの前に白湯を置いた。私は、「ありがとう」と言う。近くに座っていたおじさんがすかさず、「おかわり」と言ってバーテンダーにグラスを返す。バーテンダーは黙ってそれを受け取ると、黙ってまた酒を作り始めた。

おかわり、という言葉だけで注文ができることに、わたしは新鮮な感覚を覚える。バーに憧れがあるとはいえ、バーという空間にはほとんど行ったことがない。注文といえばファミレスや蕎麦屋のようにちゃんと何が食べたいのかを人に言うのが普通だと思っていた。

ということは、このおじさんはバーに慣れているということだろうか。しかし、わたしの中にバーに慣れている人格があるとは、どういうことだろう。

「あの……、こんばんわ」

わたしは、左にいるおじさんに声をかけてみた。想像の世界だからか、気安く話しかけることができた。

「ああ、こんばんわ。」

おじさんは酒の匂いがする息で答えた。意外とすんなり挨拶してくれたので助かった。

「このバーには、よく来るんですか」
「ああ、よく来る。」
「一人で、ですか。」
「ああ、見ての通り一人でだ。」

一人でバーに来るのは楽しいだろうか。バーの楽しみ方なるものを知らないわたしは、そこに疑問を感じる。わたしは、昨日もそうだがなぜか一人でいる。酒を飲んで酔って楽しむのならいいが、飲んでいるものは白湯である。場違いな感じがしなくもない。

バーテンダーとの一対一の会話に憧れて、舞台設定をバーにしたはずなのだが、今日はそれもできそうにない。閉店までじっと白湯を飲んで、二人きりになるまで待とうか、と思う。こんな客がたくさんいる中では、静かに話ができそうにない。

一方で、おじさんは気前よくわたしに話しかけてきた。「見ての通り一人で」と言ったが、バーに来るまでは一人で来るだけのことのようだった。おそらく、バーに来てからは色々と人にちょっかいをかけるのだと思う。

おじさんの話したことを、書く手間を省くために簡潔にまとめると、このようになる。

おじさんは、会社で営業の仕事をしている。
おじさんは、長野県出身で、村上春樹が好き。
おじさんは、ウィスキーが好きだが、女性と一緒に飲むときはワインを注文することが多い。
おじさんは、バーテンダーとは高校の先輩と後輩の関係らしい。おじさんが、先輩。
おじさんは……。

特にドラマがないので、おじさんは昔生き別れた弟を探す旅をしていて、旅先でたまたま入ったこのバーで運命の人を見つけ、ここで所帯を固めたという設定にしよう。今日はその運命の人が仕事から帰ってくるのをバーで待っているという設定にしよう。

ちなみに、おじさんが村上春樹が好き、という設定は昨日友達とリモートで話していた時に、村上春樹が話題に登ったことから、わたしが連想したのだと思う。どうやって、おじさんからそれを聞き出したのかを推測すると、

「おにいさん、趣味は何かい?」
とおじさんが聞くので、

「noteに記事を投稿することです。」
とわたしが答えたことから、文章の話になった。おじさんは、会社の営業をやっているからか、noteのことや、SNSのことには多少の知識があるらしく、わたしの趣味についてすぐに理解したようだった。
しかし、noteに書くということにも色々ある。さらに、書くということにも色々ある。その中から、おじさんは「書いている人は読むのも好き」と推論し、本の話をし始めたのだ。

わたしはあまり本を真剣に読まないと自分で思っているので、おじさんもありきたりな「村上春樹」という有名な名前を口走ってしまったのだと思う。

そうこうしているうちに、わたしは営業をやっているおじさんの語り口調を心地よく感じ始めた。酒が回っているからか、適当に相槌してもおじさんは気持ちよく話してくれる。

そして最後には、おじさんの運命の人が現れた。スーツをきたおじさんと同年代の女性だった。おじさんは、はっと我に帰って彼女に笑いかけると、

「このお兄さんに、お世話になってしまったよ」
と、わたしの肩をぽん、と叩いた。
わたしも、おじさんの運命の人に会釈するつもりで、白湯を持ったまま笑いかける。彼女も、上品に軽く笑うと、「うちのが、迷惑かけたわね」と言った。
おじさんは、そう言われてガハハと笑うと、「すまんなぁ」とわたしに言って、席をたった。

そのやりとりを聞いているわたしは、なぜか癒されていた。わたしの中の理想の夫婦像のようなものかもしれない。

おじさんは、運命の人とバーの奥の方に行ったのだと思う。カウンターは静かになった。わたしは、さっきまでのシーンの意味を考え始める。特に意味はない。指先に任せて思いつきで書いただけだ。そう思うようにする。そう思ったところで、おじさんのあの幸せそうな笑顔が汚れることはない。このバーで何が起こるのかを、試したかったのだ。とりあえず人を動かして、それと話をしてみたかった。

小説と随筆は何が違う? 人を動かすことだろうか。

しかし、随筆でも「聞いてきた話」のように人を動かすことはあるかもしれない、と考える。うーん、よく分からなくなった。

「違いなんてないんじゃないですか。」

気がつくとバーテンダーが、わたしの目の前に立っていた。

「おかわりはいかがですか」と、わたしの手元の陶器を見ていう。

「あ、じゃあ、白湯で」

「いつもの、で承りますよ。」

とバーテンダーはお茶目に笑って、また奥に引っ込んだ。彼は、わたしの中にある「いつもの」で注文したいという憧れを見透かしたのだろう。見透かした、というか読み透かしたとでもいうべきか、これまで書かれた文章を読んでいたのだろう。

「なるほど、登場人物だからやはり書いているわたしのことはよくわかっているのかもしれないな。」

「しかし、そうなら早くわたしが店に入ってきたときに話しやすい雰囲気にしてもよかったのに。おじさんのくだりは冗長じゃないだろうか。」

「でも、思いつきで書いているから、そこらへんはバーテンダーでもうまくコントロールできないのかもしれないなぁ。」

「お客様。」

バーテンダーが、また銀色のお盆に白湯をのせてやってきた。

「お客様の言うことは分かっているとは言え、不自然に話すのはお控えくださいますか。」

「すみません。奥に行ってもどうせ聞こえると思って、ベラベラ話してしまいました。一応、登場人物としてこの世界の自然さを保ちたいのですね。」

「ええ、でも、このやり取りで読者の方も色々理解するところもあるでしょう。」

「そう、だからこうやって、無駄に話してみたんだ。『書かれたこと』がこの世界の共通認識ならば、携帯電話も要らずに、台詞を話すだけで遠くにいる人と通じ合える。」

「その通り、です。しかし、お客様の例は説明過剰です。オシャレではありません。さっきのわたしが言った、『いつもの、で承りますよ』と言う台詞一つで、そのことは通じるはずです。……ああもう、この説明自体がやぼですね。」

「すみません、なんか、この世界で何ができるのか、試したくなってしまって。」

「まあ、いいですよ。あなたはnoteを実験室だと思っていらっしゃるのだし。オシャレとか気にせず好き勝手やってればいいんですよ。」

「そうですか……。」

わたしは、バーテンダーにそう言われると何だかホッとした。バーテンダーとはいえ、自分の中の存在であるから、自分で自分を慰めているだけのような気もしなくはない。

「昨日から、何か考えましたか。」
バーテンダーは聞く。

最初のよそよそしい態度とは打って変わって、おじさんがいなくなってからは昨日の続きのように、フレンドリーな感じがする。

「ああ、すこしは考えた。でも、やっぱり書くとなると考えたことがそのまま文章にはならないな。」

わたしは、白湯の底に書いてある猿の絵を見た。それぞれ、目、口、耳を塞いでいる、三匹の猿だ。

「三猿をテーマに書きたいと思っていたんだ。日光東照宮の。」

「いいんじゃないですか。」

バーテンダーは言った。

「小説ですか。随筆ですか。」

「多分、小説。メタ小説にしようと思っている。」

「それは面白そうだ。」

「バーテンダーは、noteやってるのかい。」

「いや、やってません。」

「じゃあ、読めないじゃないか。」

「いや、あなたの中で読んでいます。わたしはあなたの中の存在なのですから。」

「そっか。」

「やぼなことを、何度も言わせないでください。」

「すまん。」

「それで、どうしてこんなふうに、バーの話を書こうと思ったのですか。」

「それは、結構ハードボイルド風に書きたいなあって思ってたんだ。」

「小説読まないのに、ハードボイルドわかるんですか。」

「わかりません。」

とわたしがいうと、バーテンダーはため息をついた。

その通りだ。バーに憧れたのも、なぜかハードボイルドという言葉と、バーが結びついたからだ。

「ハードボイルドコメディの予定だ。」

「ものすごくシュールになりそうな予感がします。いつも通り。」

「バトルアクションも入れるつもりだ、少年漫画みたいな。だって、アクション書いてみたいじゃん。」

「ものすごく、幼稚なものになりそうな予感がします。いつも通り。」

今度は、わたしが深くため息をついた。ため息だけにしておこう。あまりエモいのはハードボイルドっぽくない。

「まあ、せいぜい試してみることです。」

バーテンダーはまた、暇になったのかカウンターの掃除をし始めた。いつの間にか客が少なくなっていて、二人しか気配を感じなくなった。

「まあ、バーでの雑談という感じで、話半分に聞いてくれればいいさ。わたしが最初に宣言した通りに何かを書きとおせたことはないんだから。」

「そうですね。期待はずれになることを、期待しています。」

けなしているのか、ほめているのか。バーテンダーのセリフを聞いて、わたしは軽く笑った。軽く笑っただけにしておこう。あまり色々書くのはハードボイルドっぽくない。

「タイトルは、もう決まっているのでしょうか。」

「タイトルどころか、設定まである程度決まっている。」

「いつから考えていたのですか。」

「恥ずかしいから答えたくない。でも、明日書き始めたら、そんなのは関係ないだろう。」

「楽しみにしています。」

「ありがとう。」

わたしは、立ち上がってバーテンダーにお礼を言った。それから振り返ると、固く閉ざされた木のドアに向かって歩き出した。歩き出しただけにしておこう。それ以上はよく分からないのだから。

最後までお読みくださりありがとうございます。書くことについて書くこと、とても楽しいので毎日続けていきたいと思います!