書き重ねる:2020/11/19

タイムスタンプの方がタイトルにとって重要なのかもしれない。

毎日、「書き重ねる」ことについて書いている。「書き重ねる」と書いてから、「今日」と打ち込んで、タイムスタンプに変換する。無機質な数字がそこに並ぶ。しかし、それが昨日と今日が違うことを示す。同じタイトルのものを何度も投稿することはできるのだろうか。わからなかったので、後ろに日付を書くことにした。そうしたら、被ることはない。

同じ文章を書くことはできない。同じことを言おうとしても、できない。昨日言ったことを覚えていない。覚えていたとしても、同じ言葉では説明しないだろう。

言葉には、完成した形はないのだ。一つの文章をどこまでも追求しても終わりはないだろう。文章を直すというけれども、どういうことなのだろう。直された文章は完成されていて、これ以上変化しないのだろうか。完成した文章を書いたら、次の日も全く同じように書くのだろうか。

おそらくそういうことはなく、その時の価値観のその時の目的に合わせて文章の完成というものは語られるのだ。そうやって条件を絞らないと、いつまでも作業に終わりはないことになる。

目的がない文章を、毎日新しく書き直している。

そんな書き方をするようになったのは、そうした文章の揺れや日々の違いを記録したかったからかもしれない。言葉が曖昧なのは、初めに書いたときは結構ちゃんとした理由を書いていたからだ。その時の私は、文章を作品として完成させたいとか、毎日書くことで昨日言えなかったことを言えるようになりたいとかはっきり言っていた。

あれはなんだったのだろう。まあ、思いついた時は同じテーマ、同じタイトルで毎日書き続ければ上手くなると予想できた。しかし、上手くなるってどういうことだろう? 考えればよくわからない。文章で何かを述べることに上達という明確な基準があるのかどうかもよくわからない。

書いているうちに、これは同じテーマであっても決して一つの同じ文章にはならないのだと気がついた。むしろ、テーマへと帰ってきてはまた新しい形を生み出す。日々の違いと、文体の動き方、考えの多面性が際立っているように思える。

変わるためにずれるために動くために同じことを書き重ねている。

最後までお読みくださりありがとうございます。書くことについて書くこと、とても楽しいので毎日続けていきたいと思います!