見出し画像

白い画面。点滅するカーソル。それをただじっと見る。飛び込める場所を探している。指が動き始めたら、少し安心する。今日はどこまで潜れるのか。

白はこわい。なんでも書いても良いと、ただ身をさらして私の様子を見ている。儚いようで、開き直ったような大胆な態度に身がすくむ。

書き出そうという気が起きるまで動かずに睨み返してくる。間合いを測るように、文章と日常の距離感を私は探す。白い画面は動かないから、迷う方はいつも私だ。

書くときは、書く世界にいるのだと思う。現実世界にはいられない。言葉だけが全ての世界。だから、書き始めてしまったら私の一部分が死ぬ。呼吸をして、心臓を動かしている自分はいなくなる。ただ、言葉だけになる。雑なものが全て切り捨てられた文章の世界に酔いながら覚めている。そうして、今日の生を得る。産声から始まらない生。自分で作り出してしまった生。言葉によって規定される生。読んでくださるあなたの前に、私は生まれる。

重々しいことではない。書かれたことしか読まれない。それだけのことだ。書かれた私しか、読む人は知り得ないし、世界に存在しない。そんな当たり前のことだ。

ただ、書く方の私は、私がきっぱりと分離してしまう瞬間を体験している。白い空間に飛び込む瞬間の無音を聞いている。黒い水しぶきをあげながら進む身体を感じている。

だから不思議で、不思議なまま書き終わってしまう感覚をまた味わいたくなる。毎日毎日、謎が解けないまま気がつけば日常という陸に打ちあがっている。

何かを確かめているのではなかろうか。

文章世界と現実世界の浜辺に放り出されて、空を見てあっけに取られる。

書くということを大袈裟に書けばこうである。

そう、日常はあまりに複雑で、様々なことがありすぎる。だから、白い世界では何もかもが鮮明に、どんな些細なことでも大袈裟に愛おしく見える。

現実世界の雑多さが、書くことを埋もれさせる。書くことよりも、私に働くことを、学ぶことを、誰かを思うことを、食べることを、寝ることを求める。そして何より、生きることを求める。

そんな日常を、小さな白い光が切り裂く。行こうとすれば誰もが行ける場所に、違う世界の入り口はある。それは、何気なく開かれたノートのページに、とある情報空間の入り口に置いてある。その白さに、私の心が共鳴する。気がつけばその中に飛び込んでいた。

最後までお読みくださりありがとうございます。書くことについて書くこと、とても楽しいので毎日続けていきたいと思います!