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全体練習005

どっち通 どっちどっちはぁーどっち通

そろそろ行こうか。私を待っていたような曇りだな。そろそろ行こうか。私を待っていたようなモフモフだな。そうか上と言うふうに待ち合わせをして 当日の朝まですっかり忘れていたんだな。何を着て行こうか、どんな思想で街を見終わったそうか。あるいは心だけは裸で誰かの指示を持って ただひたすらにそれを読もうか。

街の廊下に道渡る。街のどこかにどこかから聞こえてくるこの歌は誰が歌ったのかわからない。と出されたまま、鼻の穴から ゆっくりと明される。鼻歌。ハミング。お腹の鳴る音。瞬きする音。 頭が痛むのと耳鳴りがするのと。体の内側にあって、決して誰にも聞かれなかった弟 嘔吐嘔吐。

この歌は誰が歌ったのかな。誰が知っていて、誰に聞かせようとして歌っていたのだろう。私の隣の部屋に住んでいて毎日毎日 お風呂で歌を歌っている。私はそれをぼんやりと見ていくのだけれども、何を歌っているのか壁にメロディーが吸収されてしまっていて何もよくわからないぼんやりとしたうるさくもないただ人の声の生々しい (公園まで裸のような)それはどっち聞いていた。

喉の奥がふとした時になってしまうことがある。それは言葉だろうか。それを文字に書き写すとしたらどんなことになるだろう。私たちはそれを見て喉の奥が なってしまうことを新しい言葉なと思えるだろうか。あるいは下からそういった発声法で会話する人たちがいてもおかしくはないと思う。だからすべての日常はまだ言葉になっていないだけで言葉になりよる。どんな表現にもなり 見るどんな形であれ、新しいものをそこから始めることができる表現としてどこかに向かおうとしているのならば 明日はきっと京都の違う場所にいる。

私が昔から使っている言語は海のような。今ではほとんどの人がテレカことを忘れてしまった。 昔の人たちは角谷身体的な準備が必要だった。けれど今はこの中でつぶやきのようなものを思い浮かべるだけで 文字列が浮かび上がってくる。壁に向かって話しかけているだけのように気がするんだけど。鏡が反射するように、濡れた壁は私の思想 総合表現する。私はその言葉の観測を私に差し込み、また別の言葉の使い方を考え始めるならテニスの壁打ちのように その繰り返し。

個人の心の中にある、その暗い暗い領域は誰も評価することができないように。けれどもそのくらい位下さん表現するために 何か私の中切り開くものはあるのだろう。

最後までお読みくださりありがとうございます。書くことについて書くこと、とても楽しいので毎日続けていきたいと思います!