海:2021/02/25

静かになっている、私の足のうら、静かに静かになっている風を含んでありきたりに静かに鳴っている。なって居る。鳴っている。なぎ。今日の夕方。また会いたいと思う夕方。私は対話する。ずっとなっている。昨日の夕方から。ゆっくり、または少しづつ。私は同じ文体で同じ言葉で、その繰り返しとその組み合わせて、いつもいつも超えて行けるよう。なんとなく、そうやって書く。メンソレータムを背中に塗る。背中を伸ばす姿勢が怖いから。イガイガと背を焼くように襲ってくるかゆみ。いつもいつも私はどこかが痛い。どこかの傷が治れば、また別の何処かが痛み出す。ゆっくりとゆっくりと痛み出す。片手でも音はなるらしい。山と太陽の絵が、四角く小さくどこかに続いている。いつもうねるように音がするの。ずっとずっと耳の奥で。私の家のそこで。連なりはゆっくりと連なるのだと思っていた。細かい字は細かくゆっくりとなびき出すのだと思っていた。順番を超えて柔らかくうねるものだと思っていた。私は踊る。じっと踊る。手が疲れても。私は踊る。繰り返す。手が疲れる時まで。いくらかキーボードを連打するようになって、痛みに麻痺した指先が言葉を純粋に生み出す喉の繊毛になってくれるはずだった。それでも私は、常套句で私の頭の中のことをまき散らす。まるで私はそう言うテンプレートを装って文章を書いているかのようなことをここに映し出す。海は基盤である。命を生み出すための基盤。それは電気信号も整列な論理回路もいらない。有機的に、どこまでも薄く薄く薄まった大量の水と記憶の中から、極度に圧縮された生命という運命を光り輝かせ、何年も何年も何万年も私を宇宙の記憶から今まで運んでくる。私はいつも、いつも、いつも、星空を見るとどうしても、昨日のことを思い出してしまう。光。瞬いて地平線の上で泣いているみたいだ。そうだ、お父さんの車の中で、私はわざとあくびをした。涙が目に溜まって、街灯の光が横に伸びた。ずっとそうしていると、光の輝きが私の普通の目で見ることと、涙が溜まった目で見ることは違うものだと私はわかった。それで良いのだと私はなんとなく思う。私の目で私がいつもみているものが、そうである、そうでなければいけない理由など何もないのだ。コンクリートに固めて沈んでいきそうな言葉。お湯をかければ萎びて伸びていくような言葉。結晶のように硬く解きほぐされない言葉。原木のように、ただゴツゴツと年輪の中で埋まっている言葉。時間と共に、少しづつ、私の中でときほぐされない言葉。言葉。

最後までお読みくださりありがとうございます。書くことについて書くこと、とても楽しいので毎日続けていきたいと思います!