見出し画像

文体練習寺06

稽古する。話で友幹分 裸足で床を家子 一つ一つ意識的になる雲。何かを忘れるために何かを覚える。時間をかけて蒸発していった意味にまた新しい息吹を与える。 そしてまた命は森に宿る。

どこからどこまでと考えるのはもうやめよう ここからにじみ出してとけなす私ではない言葉と私の言葉。 誰かの言葉からの幻。 誰かの言葉から逃れようとして、今度は自分の言葉にとらわれてしまっていた。

どっち言葉が全身の 精神を動かす努力であるのならば。 どっちやはり言葉がなくても心は動かないだろう。 自分の言葉を作るのは自分の力で立つことであり自分の力だけで立つことでありそれは強いことであるのだけれども、ただ強いと言うなんて。ただ強いと言うだけ。


とすれば言葉の歴史に流されてならなら解釈を受け入れて、その時その時の時代の空気の匂いに軍需されて、 どっち直誰のものなのか結局何が原因なのかよくわからなくなってしまうのもまた誰も納得しないんでしょう。

世界のキメが見たいから。全部の色をなくして、華やかさをなくして、そこにそれがあるかないかだけで、モノクロの網膜で見ればいいのに。

道に迷っている人の後ろ姿。そしてどこかで曲がって見えなくなった。またしばらくして私の前に、十字路から帰ってきて歩き始めた。今度は私がまゆ曲がるべきところで曲がらなくてまっすぐに進んでまた引き返す 今度は本来曲がるべき方向に曲がらずに反対の方向から曲がっていくべきところに行く。道に迷ってもうそもそもの道空いてなくなってしまっているんだ。

言葉の平面が売られて居られてまで波が立って風がたたなくなるまでなめらかになめらかになめらかになめらかにただ同じことの繰り返し。ただ同じことの繰り返しただ自然法則の従っているだけの海の光重力が揺れている それだけなのに私はそれに恐れてものすごい力がそこにあるんだとわかってたら風に押されて三宝する。海の水に鳥が座っている。何匹も何匹も座っているもうわかっている。わかっている わかっているものは何も言わないから私は何もわからない。

最後までお読みくださりありがとうございます。書くことについて書くこと、とても楽しいので毎日続けていきたいと思います!