書き重ねる:2020/11/25

書き重ねています。といってしまえるほど私にとってはだんだん毎日これを書くことが自然になってきた。とはいえ、説明をはしょるのはたぶん?この書き方にはあまり相応しくない。言葉が重なるのを恐れずに、書いていく方が良いだろう。

タイトルの説明。「書き重ねる」の部分が本体であり、この文章、あるいは今まで書かれた文章に共通のものを指し示している。「:2020/11/25」の部分は書かれた日付である。

基本的に後ろの日付の部分以外は変わらないタイトルで、書き始められる。おそらくはそれだけのことなのだろう。結局、書く……パソコンに向かって思いついた言葉を自分の好みに従って並列していく作業を進めるということは変わらない。初めに書く言葉によって、その営みが影響されることもあるが、無機質なタイトルだから、影響があるとしてもほんの少しだろう。もっと影響されているのは、浮かれているとか、後でお風呂に入るから15分ぐらいで書こうというぐらいのことだろう。

建前上は、毎日同じタイトルで、日付だけ変えたらどんな文章が書けるのか?という実験を行なっていることになる。結果がわからないから実験。期間を決めて、一ヶ月ぐらい続けるつもりである。一ヶ月経ったら、もう少しわかりやすい題材で試してみるつもりである。思いつきで始めてしまったので、わかりにくく「書き重ねる」すなわち、「毎日同じタイトルで、日付だけ変えたらどんな文章が書けるのか?」というテーマで毎日同じタイトルで、日付だけを変えて書き続けるということをしている。

机の上のリンゴの話とかだったら、もっとわかりやすかったのにとも思う。初め書くときは、「机の上にリンゴがある」と書くだろう。単純な情景の描写だ。しかし、次の日に書くときはどうだろう。昨日と全く同じで「机の上にリンゴがある」と書くだろうか?

そうかもしれないし、そうじゃないかもしれない。「今日も机の上にリンゴがある」と書くかもしれない。書く自分は、書いた自分を覚えている。いや、昨日と同じ「机の上にリンゴがある」と書かれたとしても、意味は全く違うかもしれない。私が、全く同じ気持ちでリンゴを見るわけがないし、読む方も昨日と全く同じ気持ちで読むわけがない。全く同じ文字列の「机の上にリンゴがある」という言葉でも意味は日によって変わるといえる。

日によって変わる私たちが、言葉の意味を変える。また、毎日「机の上にリンゴがある」と書き続けられているという事実が「机の上にリンゴがある」という言葉を変える。一番単純な反応は、飽きたり退屈したりすることだろう。もしかしたら、何か意味があるのかもしれないと勘ぐったり、次第に明日が楽しみなったりするかもしれない。本当に意味があるのか、ないのか、書いている私自身も揺れる。

この一番わかりやすい実験は、本当に「机の上にリンゴがある」と一ヶ月間同じ文章をnoteに投稿しつづけることだと思うけれども、なぜだか私は色々書いてしまっている。

そこが大事なような気もするし、大事じゃないような気もする。座り込みのようなもので、毎日やってることが確認できれば内容はどうでも良いような気もする。

でも書くしかないなぁ。と思う。実際にこの手で言葉の固まった意味を壊してみるには、そうするしかないだろう。これは実験だ。実際に自分が揺らめいていることを知るためには、そうするしかないだろう。これは実験で、本当に書いて、本当に書き続けるしかよくわからないのだから。

最後までお読みくださりありがとうございます。書くことについて書くこと、とても楽しいので毎日続けていきたいと思います!