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網棚の下で書く
電車の中で、この文章を書いている。だから、網棚について書こうと思った。網棚にはものが載せられている。
それがなんかいいのだ。
考えはテーマで終わりだ。網棚をテーマにすると決めてから、もっと具体的な言葉が連なっていく。現実にどこまでも忠実に網棚を書き続けるか。それとも詩のように言葉のつながりで軽やかに現実から離れるか。
机で一人で座って書いていたとき、たくさんの書くべき道が現れてきた。例えば小説を書くとか、書いた言葉を誰かにどうにかして見せる方法を考えていた。
それを考えているうちに、書くことなく時間が過ぎた。
結局最後に背中を押したのは具体的に文章を書いていくことだけだった。
網棚だって、網の目をしていてある程度の大きさのものじゃないと受け入れてくれない。
書く前のもやもやとしたアイデアは、空気のようなもので、目に見えないし、どこまでもありふれていて、触れても気が付かない。網棚の上にも載せられない。
網棚の下に、人がきれいに座って並んでいる。今日はスマートフォンを見ている人が少ない。スマートフォンで文章を書くのは苦しいことだ、と思う。だから、多くの場合、スマートフォンは書くよりも読む道具である。
書くなら詩がいい、と思っていた。文字のつながりではなく飛躍によって書く。それは、書くよりも書かない時間のほうがおおい不思議な文章だ。
手元の板に、「ジェット機のように飛躍する」と書いた。私が乗っている地下鉄とはまったく反対な乗り物だ。ジェット機は、長い距離を走って、最後には離陸する。地下鉄はネットワークをつくり、ただフラットに広がっていく。詩と小説の違いに似ている気がする。
ぽわんと好奇心に任せて、世界に触れる。世界を信頼しているからできることだ。飛躍するのにも踏切りがいる。
具体的に踏み出すのは怖い。さらけ出すつもりではないものがさらけ出される。書こうとしてから、書こうと思ってもなかったものまで書かなければいけないと思ったりもする。
反対に、誰かに書く手紙などは意識もせずには安心して、言葉が出やすいときもある。外からの影響を言葉は受ける。一人で立って描くことはできない。
いつのまにか網棚の下には人がいなくなっていて、荷物が宙ぶらりんに頭上に残されていた。
最後までお読みくださりありがとうございます。書くことについて書くこと、とても楽しいので毎日続けていきたいと思います!