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普通でいい

普通、という言葉がうまくとらえられないものはたくさんあるけれど、とりあえず普通でいいと思う。うまくとらえられないままぼんやりと、普通でいいと思う。普通がどうやら、はっきりとした基準になってしまうといけない。だから、普通は普通のまま、突き詰めないほうがいい。

例えば、ご飯を食べること。と、書いてそれすらも普通を限定してしまうことだと気がつく。私は毎日ご飯を食べる。だからご飯を食べることが普通だと思う。しかし、それが普通だと思わない人もいるだろう。

どうしたら、普通が普通のままでいられるのだろう。

それは、普通を忘れることではないだろうか。私は毎日ご飯を食べる。と、ただ書けばいいのではないだろうか。それが普通だと思わずに、普通に書けばいい。

どうして、普通でいいと思ったのだろう。私は、窮屈だったからだ。良い、と悪いしかないのが窮屈だったからだ。真ん中に「普通」があればいい。それもたっぷり余白をとって、誰もが普通に、「普通」と言っていいだけの余白があればいい。

喜怒哀楽というけれども、普通という感情もあるはずだと、私はにらむ。ただ普通にいることだってあるじゃないか。普通がもし感情なら、普通は人の心を動かす。嬉しいことが人に伝わるように、普通であることが人に伝わる。ただ、そこにいることが、ただ普通でいることが誰かに何かを与えることがある。

普通に何かをしてみたらどうだろうか。良いことを目指すのではなく、悪いことをするのではなく。普通さを追求してみたらどうだろうか。

いや、追求していたら普通は手に入らないだろう。追求されるものではないのだ。求められるものでも、探すものでもない。そこにいることが普通なのだ。心に浮かんだことをそのまま、素直に言ってみるだけでもういい。

普通は普通だが、それでもう完成している。足りないとか、満ちているとかということから離れて、そうでしかあり得ない形をしている。

何も考えずに書いてみたいと思う。手癖のままに、思いつくままに。そのほうが今の感情をきちんと書き表せる。気がついたら普通に落ち着いている。それぐらいがいいだろう。

最後までお読みくださりありがとうございます。書くことについて書くこと、とても楽しいので毎日続けていきたいと思います!