見出し画像

文太練習0011

子供はどこまでも続いている位押し入れの中でもどこまでも続いている狭い狭い世界の中でもどこまでも出ていているこの地球の外の中でもどこまでもどこまでも手で売っている言葉をたどっていけばどこまでも私たちはいける宇宙の外までも物理学世界では宇宙の外には何もなかったのではないかと言うまた宇宙が始まる前は本当に何もなかったのではないか と言うけれども私たちは言葉を用いて宇宙が始まる前に物語を作ることができるまた宇宙が終わり後にも物語を作ることができるそう宇宙と言う言葉より小さいものはないかもしれないのだなぜなら宇宙からすべてが始まっていくからだから私たちは宇宙の中にいるのではなく宇宙と言うここからどこまでも広がっていくために言葉と言う船に乗り どこまでもどこまでも進んでいく。


好きなら好きって言わなきゃだめだよ。生パスタを食べた。バスに乗った。雨の日だった。服が全部濡れて、私は着替えた。1人だけ寝ていた。みんな傘を持っていた。ビニール傘だった。私の知っている着物は全部雨男子 おしりとって濡れた。そしてもう私は雨の日に出歩かないと思うと思ったけど、確かにこんなふうにびしょびしょになるのはいつのことだろうと思い出して懐かしかったし、全てがこんなふうに見積書に濡れていればいいのにと思うのだけれども、みんな雨の乗り方を良くし 天気予報で雨だと言う日にはちゃんと傘を持っていくものだった。私は傘と言うよりもメガネ用のワイパーが欲しかった。だって雨が降るから傘が嫌メガネがすごく濡れてしまって前が全然見えなくなってしまうんだもの。だから私が傘と言うよりもメガネ用のワイパーが欲しかった。眼鏡屋さんに行けば売っているのだろうか それとも車屋さんに行けば良いのだろうか。車を持っていないのだから車屋さんの事はよくわからない。

骨伝導イヤホンで、鼓膜からではなく骨から伝わってくる音を聞く。まるで自分の声みたいに自分の中から出た声が跳ね返ってくるように好きな音楽が聞こえてきた。結局私の聴覚神経が刺激されているのだから、で、結果としては変わらないのかなと思う。

最近からひたすらただひたすら書いていることが好きになった。1時間位降って忘れて動かさずに手を止めずになら書いている。そうしているうちに自分の文体がいろいろあることに検索して、自分がもともと好きだった本のことを思い出した。大人になってから本が急にひどくつまらないように思えてきた。子供の頃に読んでいた絵本絵本とか 青い鳥文庫とか何かファンタジーとか、そういうものにこそ自分の本当の物語があるのかなと思う。どうして大人の方にワクワクしなくなってしまったんだろう。どうして今は子供の方が大人は読まなくなってしまったんだろう。どうして子供の文学と大人の文学が分かれているんだろう。その間に、私が大人になる前に読む べきだったことに私は1番ワクワクしていたことに思い出した。 本間に大人になるはずではない子供。彼が100歳になった時に読んでいるような、永遠の自動調節の 書いてみたいなと思う。

最後までお読みくださりありがとうございます。書くことについて書くこと、とても楽しいので毎日続けていきたいと思います!