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「地球」23年生

この度永い歴史を誇るこの地球に所属して23年目を迎えました。お祝いのお言葉をくださった皆様ありがとうございました☆

小学生のときあんなに待ちわびていたのに、大人になると変わらぬ日常のうちの1日になっていました。
が、今年はちょっと気持ちが変わっております。

いつでも人が死ぬ確率というのは全人類が平等の数字を持っていると思います。1分、1秒後に誰が死んでも本来は何も驚くことではないはずです。ただ、生活を共にし、楽しく笑いあった人が急にいなくなることを、人の心は受け入れられないことは明白ですから、死は特別に悲しいのでしょう。

コロナで連日◯名重症、◯名死亡と報道されておりますが、誰もいつかくる死がコロナだと思っていなかったはずです。地球を覆う危機の当事者になるなんて、誰も考えなかったでしょう。

今日23歳を迎え、健康であり、今までのたった23年の実績の私のことを少しでも覚えてる人が言葉をくれるこの誕生日というのは、もしかして物凄い大事な日なのではと遅すぎる気付きを持ちました。小学生のときは、欲しいものを買ってくれる日で、ケーキを食べれる日でしたが、今年大きく価値が変わりました。

それから1つだけ。
私はまだまだ、まっだまだその立場にありませんが、人間だけの交流で考えたら例えば50歳あたりになると好きでも嫌いでも人に指導することの方が多くなってくると思います。私の周りで言えば教授になったり、普通に会社でも上司になっていくでしょう。上司でなくても先輩としか呼ばれなくなっていくことでしょう。

森喜朗さんの発言が話題ですが、恐らくあの方が20~40代くらいまではそういう世の中だったのでしょう。そこを懸命に生きたのであれば、根底にあの発言ができてしまう意識が根付いてしまっている状態は仕方ないとは思います。勿論上に立つ人が変われないということは問題だと思います。
逆ギレの会見もひどいものでした。なんであんなことできるんだろうと本当に理解に苦しみます。

多分ね森さん、あなたも地球80年生と思えばええんちゃいます?(笑)屋久島の杉の方がよっぽど先輩で、人間だって地球の一部で、地球が爆発したら我々肉片どころの騒ぎで済みませんから。80年生は私にとっては大先輩ですが、地球にとってはたったの80年ですし。

勿論冗談です(笑)
まぁ本人に届くわけもなく、直接言う勇気もありませんが、私はいくつになっても、住まわせてもらってるくらいの気持ちでいたいなと思います。「やってあげた」ことが増えていく中で「してくださった」記憶が薄れていかないように、尊敬はしても人に見返りを求めないように。同じ土壌を豊かにしていく使命が同じなら、誰も偉そうにできないし、逆に知らない人間の小言を気にすることも無くていいと思います。

はー、長っ!(笑)楽しみにしていた本番が無くなったちょっとさみしい誕生日でしたが、周りの方がくださったプレゼントや言葉に励まされました!
悶々と考えちゃう中尾彬さんのネジネジスカーフみたいな人間ですが、どうぞこれからもよろしくお願い致します!





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