九州男児

今週は生まれて初めて九州男児と交流しました。生まれも育ちも九州の筋金入りの人たちでした。なんか男としての格をわからされましたね。男というか生物のオスとしての格といってもいいかもしれません。体も精神も何も勝てる気がしません。ただただ圧倒されてました。そのくらい格上。俺はナヨナヨしすぎだなって思いました。別にそれでもいいじゃない。男は強くなきゃいけない、勝たなきゃいけないなんてことを求められるような時代じゃないんだからと自らを慰めてみましたが、なんか違う気がして自分を納得させられませんでした。この気持ちはなんだろう。敗北感とはまた異なる感情。恐怖感ともまた違う。強いていうなら憧れが一番近いのかもしれません。俺にないものをこの人たちは持っている。別にそれがめちゃくちゃ欲しいというわけではないけどこういう部分も持っていてもいいのではないかと憧れる。
確実にわかったことは俺が九州に生まれ落ちていたら多分生きてはいけなかったということです。いや、もしかしたらこれは今の自分だからそう思うのかもしれない。俺が九州に生まれていればその環境に適応するように変化して、性質も変わっていたのかもしれませんね。
同じ日本人という括りではあるけども全然違うなって思いました。同じ言語を用いて同じような成長過程を歩んでいるはずなのに均質にならない。環境や文化の違いって本当にあるものなんですね。驚きが僕の好奇心を刺激します。もっといろんなところに行っていろんな人と関わってみたいなって思いました。なんか自分で言ってて人間をサンプルとしか見てない感じがしてきました。ちょっと気味が悪いですが他に最適な言葉が見つからないので誤解なく伝わるよう祈ることにして寝ます。

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