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電線と空

風呂で我慢くらべをした
角煮の照りの色をしたおじさん
その腕で何を残すんだろう

温泉からの帰り道
大家さんと会話する
都市計画に仲間外れにされた
ほとんどの人が知らない町
だから優しいし百足も出る
人、町、山、川
その速さに応じて
懐かしい未来がある

電線のない街で育った。
地下に埋められた電線は
地震にも強くて景観もいい
2月にいた街もそうだった
電気の復旧は早かった

想起する小説の設定がある
凸型に乱立する建物が地下に潜る世界
地表をy=0として、凹型に建築がある
地下にみんなが住んでいる世界
なんて美しい設定だろうと思う

話は変わらない
僕は電線と空が好きだ
誰かが住んでいることが
空と同居して
人が映らなくても
生活が映っている
地下に埋める街が増えつつあるなかで
すぐ埋めればいい、すぐ埋めろ
じゃ通らない人らしさがかわいい
よく通りがけに写真を撮る

この町に電線が無くなるころ
僕はいなくなってるだろうな、と思う
地震が来て、使い物にならなくなれば
きっと次の工事では地下に行く
生活に必要で、そのおかげで生きていられるのに
それを地下に隠すようなことをするなら
どこまでも広がる空に
今よりも歪なエゴ
特定の線をきれいと呼べと脅迫される思い
凹型の世界に、人間の生活が
立体物の交差、視覚的な広がりを持って
見えないところに留まり続けることがあるのか
オムニバスを感じることができるのか
そこにyがプラスのきれいがあっても
yがマイナスの世界は無視されていくんじゃないか
と恐ろしくなる

共感されたりされなかったりに
あなたのきれいを取っておいてほしい
飛行機雲に惹かれる気持ちを
電線にも感じています

あ、今日はシャーロック・ホームズばかり
読んでいました。
昨日の続き、記憶と記録のはなし。

ドイルの書くホームズは
ホームズのしたことを、
その親友であるワトスン医師が記録として
書いているもの、という体なのです

その中には存分にワトスンの記憶
たとえば
事件記録として残っていないホームズの
活躍なんかが
記録として残されています

逆に、過去として記録にされたものが
ひとつの思い出として
まとまりを持った記憶になります

思い出を語るとき、認知できないところにも
なにかが流れていたよね、というのは
私が信じていることです
そこにある程度の強さの骨格があるとき
再認知できる機会があるように思います

誰といたか、何日だったか、どんな天気か
嬉しかったか、どこを見ていたか
これは一度記録化された記憶の話
ますます行き来可能なものに思えてきました

この文章もそうなる予定です。

久しぶりに会う友達と
何も変わっていないことを確認しました
改めて想起することで記憶を記録し
記録を水で戻して今の記憶にしました

大家さんから受け取った巻き寿司
自転車で通ったべっぴんさんがくれたそう。
それから、用途不明の白い線
狭い公園まで伸びています。
サギが西の空へ行き
飛行機が南へ
あとはブルーハーツのハンマー
今日は泣きそうになりながら聞いてました。

ここら辺は今日記録化しきれなかった
記憶として、また明日も続いていくはず

たまには日記っぽいものも。
風がないと昼間は暑くて
たっぷり汗もかきました

きれいすぎる文章は嫌なので、
明日はもっとぐちゃぐちゃにしたい
そう祈って寝ます



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