既存の価値観の呪縛から逃れられないのはなぜか?
ぼくは実生活ではほとんど接しないのだが、この世には「既存の価値観の呪縛から逃れられない人」というのが一定数いる。そういう人の存在を、ぼくはSNSを通じて初めて知ったように思う。
ぼくは、実生活では実にたくさんの人と会うので、これまでも会ってきたのだと思う。しかしながら、そういう人たちは確実にぼくを避ける。そうして、自分の素性を明かさない。自分が「既存の価値観の呪縛から逃れられない人」だということをぼくに告げないのだ。
なぜかというと、無意識にそのことを自覚していて、本能的にぼくを避けているからだろう。ぼくと話してしまうと、ぼくに「この人は既存の価値観の呪縛から逃れられていない人だ」と気付かれ、その事実を突きつけられるので、アイデンティティのかなりの部分が傷つけられる。それを避けるために、本能的、無意識的に、ぼくとの深い交流を避けるのだ。
おかげで、ぼくはこれまでの人生で、そういう人がいると意識したことがほとんどなかった。世の中の半分くらいは、既存の価値観の呪縛からは逃れられているので、それでも問題なかった。世の中にはぼくのことを好きな人、苦手とはしない人も一定数いるから、そういうことを意識しないで済んだのだ。
しかしおかげで、ぼくは「ぼくには知らない世界があるんだ」ということをこの年になっても痛感させられることになる。それは嬉しいことでもある。好奇心が湧き、その人たちはどうしてそうなるのか、関心が生まれるからだ。
例えば、こういう人を見つけた。
この人は、博報堂を24歳で辞め花屋を起業しようとしている。そのため、「自分は既存の価値観には染まらないんだ」と心の底から思っている。そこのところが興味深い。そういうふうに頑なに信じているから、自分が既存の価値観の呪縛から逃れられていないということには、どうしたって気づけないのだ。
では、「既存の価値観の呪縛」とは何か?
それは、「社会の表層をどこまでも追いかける」という生き方だ。逆にいうと、「本質を嫌い、これを追いかけない生き方」をすることである。
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