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ゲームオタクについての印象

今日はゲームオタクについての印象を語ってみたい。

ぼくは1968年生まれで、子供時代がエレクトロニクスゲームの黎明期、勃興期とかぶっている。最初に遊んだのは『ポン』で、それは知人の家にあり、「こんな面白いものがこの世にあるのか」と驚愕したものだ。

その後、安いエレクトロニクスゲームを親に何度か買ってもらったが、それらはどれも簡単すぎて、あまりハマらなかった。しかしゲーム&ウォッチは違った。ぼくは、たちまちその面白さに夢中になった。そしてそれは、ぼくだけではなく、日本中でブームになった。

当時のぼくは、小6から中1にかけてだったから、購買者の中心層だった。当時読んでいた小学館の学年誌では、毎号のように特集されていた。(ただ、後に横井軍平は大人をターゲットにしたらしいということを知った)。

その後、いろいろあって高2のときにファミコンが発売されると、これにもたちまちハマった。それと同時期に、学校における「ゲームオタク」の存在を認識し始める。まだ「オタク」という言葉は一般的ではなかったが、そういうクラスタがいることが可視化され始めたのだ。

というのも、彼らはいつも昼休みや放課後に教室に集まって、みんなでウォー・シミュレーションゲームを遊んでいたからだ。ただしそれは、電子ではなくサイコロだった。彼らはいつも5、6人で集まって、飽くことなくサイコロを振っていた。ときどき感嘆の声や笑い声を上げていたが、基本的には静かに、黙々と遊んでいた。

黙々とサイコロを振り、テーブルの上で第二次世界大戦のシミュレーションに興じる彼らを、周囲の生徒の少なからずが「得体の知れないもの」として白眼視した。ただ、後の世代のようにイジメにつながったわけではなく、ただ白い目で見ていただけだ。当時はまだ、そういう変わり者を許容できる余裕が教室にはあった。

また、ぼく自身はゲームが好きだったため、彼らがそれに夢中になる気持ちも分かった。だから、ある程度シンパシーを抱いてはいたが、かといって友だちになったり、仲間に加わろうとは思わなかった。それは、これはルッキズムといわれるかもしれないが、彼らはいずれも清潔感がなかったからだ。ぼく自身は、女の子にモテたいから、身嗜みには気をつけていた。そうして、彼らの仲間になると、モテなさそうになるのが嫌だったのだ。

ところが、そんなある日、彼らのことを積極的に呆れ、嫌いになるできごとが起こる。それは、ぼくが高3になった1986年の、秋に行われた文化祭でのことであった。

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