ドラッカーの社会生態学的アプローチ「すでに起こった未来」を参考に、これからの社会を予測・考察し、そこへの対応を提言する
私は経営学者として有名なピーター・ドラッカーという人物を最も特徴づけるものは、その「社会の見方」ではないかと思う。彼はいつも「今」を見ない。「すでに起こった未来」を通し、「これからの社会」を見ていた。だからこそ、ナチスドイツの崩壊や組織社会、知識社会の到来を、1930年代という、まだ誰もが見えていなかった時代に、いち早く見抜けたのだ。
そのアプローチに則って、私は現代の「すでに起こった未来」を通じ、これからの社会を見てみたい。また、それを通してそこへの対応を提言してみたい。
私は、これからの社会を決定づける、3つの大きな「すでに起こった未来」というものがあると考える。それは「リベラリズム」「グローバリズム」「メリトクラシー」だ。
この3つは、すでに起こってから長い時間が経つが、いまだに社会の大多数の人に、驚くほど無視、あるいは軽視されている。しかし今後、この3つの価値観がますます支配力を強める中で、誰もが無視できなくなるのではないか。そのため、この3つこそが、「すでに起こった未来」だと想定した。
そこでここからは、まず上記3つの「すでに起こった未来」の概要について見ていきたい。
最初に「リベラリズム」について。
この価値観が進行したことによって今、人々は結婚しなくなり、少子化が起こった。また家族と暮らすのではなく、ひとり暮らしが増えた。
結果として、「家族」そのものの価値が下がった。それは、伝統的に家族が重要な価値だった東アジアの3ヶ国、すなわち中国、韓国、日本にとっては、なかなか受け入れづらい状況だった。おかげでこれをめぐる意見の対立は、いまだに大きな社会問題としてくすぶり続けている。
さらに、リベラリズムが急激に広まる中で、激しいバックラッシュが起こり、リベラリズムを押し進める者とのあいだに諍いが起こっている。アメリカで起こったトランプ元大統領をめぐる対立や、ジョニー・デップとアンバー・ハードのDVを巡る訴訟、それにトランスジェンダーのトイレ使用をめぐる対立などが、これによって引き起こされている。
次に、「グローバリズム」について。これは最初、アメリカで起こった。アメリカでは、ずいぶん前から多様な人種の人々が同居していたため、かつては「人種のるつぼ」と呼ばれていた。
しかし今日、それはアメリカの専売特許ではなくなった。私の住む日本を含め、どこの国でも当たり前のように見られる光景となった。この流れは、もはや止めようがない。今後、どこの国でもますます多様な人種が同居する社会になるだろう。
その結果、どうなるのか?
これはきわめてデリケートな問題で、反対意見の人もきっと数多くいるだろうが、私はアメリカこそが「すでに起こった未来」だと思う。すなわち、人々の不安が増大し、犯罪や麻薬中毒者、それに精神病患者が増大する。
どういうことかというと、いくらポリティカル・コレクトネスがそれに反対の意を唱えても、人は人を「見た目」で判断する。特に、物心つく前の子供はそうだ。子供は、まだ親から教えられる前から、自分と似た見た目の人間に親近感を覚え、違った見た目の人間に警戒感を抱く。これは人間の本能である。
だからこそ、違った見た目の人間に囲まれて育った子供は、心に大きな不安を抱く。これは、どのように教育しても避けようがない。
そのため子供たちは、その不安を紛らわすために、幼い頃から心を閉ざすようになる。あるいは、不必然なくらいに早熟となる。
その結果、大人になっても不安を拭えず、精神病や麻薬中毒、あるいは犯罪者になってしまうケースが多い。これはもともとアメリカだけの問題だったが、今や世界中に広まりつつある。データを取ったわけではないが、調べれば子供社会のグローバル化が進行している地域ほど、不安による精神的なトラブルを抱える人が多いという相関関係があるはずだ。
最後、「メリトクラシー」について。これの先進国は、実はアメリカではなく、東アジアの3ヶ国である。この3ヶ国は、伝統的に能力主義で、特に知能に長けているものを古来より重用してきた。
その結果、近年メリトクラシーが世界中に広まる中で、伝統的にそうであった分だけ、東アジア3ヶ国の優位性が高まっている。アメリカのテック企業では、黄色人種の採用率は不均衡に高い。その結果、黄色人種への差別が激化するという皮肉な状況も招いている。
しかし、このままメリトクラシーが拡大すると、中国、韓国、日本でも、諸外国と同様のことが起こる。いやすでに起こっている。
それは、「格差の拡大」だ。そして格差の上位層の割合の縮小である。中産階級が縮小するのはもちろんだが、上位層も縮小する。そうして、ほとんどが下位層の社会が来てしまう。
その結果、意外なことに教育制度が崩壊するだろう。なぜなら、過剰なメリトクラシー社会においては、必要とされる能力は教育によっては育めないということが、すでにほぼ証明されているからだ。それはほとんど生まれ持った才能による。つまり、才能による格差社会の到来が避けられなくなるのだ。
それは、スポーツ界ですでに起こっている。昔のラグビーでは、各ポジションに全く異なる体格の選手がいるのが当たり前だった。しかし今では、どのポジションも「体が大きく足が速い選手」ばかりで、ぱっと見ただけでは判別がつかなくなっている。
オリンピックの長距離走では、男子も女子も東アフリカ出身の選手たちがメダルを独占している。そんなふうに、競争する環境が整備されればされるほど、どうしたって生まれ持った素質の勝負になってしまうのだ。
これは、実はメリトクラシーの伝統がある東アジアの3ヶ国にとって不利である。なぜかというと、欧米には今でもメリトクラシー以外の階級社会、ギルド社会があって、才能がない者もまだ守られている。
しかし中国・韓国・日本では、生まれついての才能がないと、守ってもらえない。そのため、誰からも守ってもらえない人間が、多数現れることになるのだ。
実際、もう何人も現れている。日本人でも、社会の片隅に追いやられ、孤独を託つ人が増えている。また、結婚をしたくてもできない人々も増えている。
これが、これから全世界で起きるだろう。いや、すでに世界中で起きている。日本で生まれた、メリトクラシーの落ちこぼれが作った文化である「オタク」は、今や世界中に広まった。
続いて、この3つの「すでに起こった未来」に対して、我々はドラッカーを参考に、どう対応したらいいのかを考えてみたい。
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