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聞くという敬い。

「聞くことは敬いだ」という言葉を聞いたことがある。
誰の言葉だったかなと思ったら、ほぼ日刊イトイ新聞の糸井重里さんの言葉だった。

見ることは愛情だと、かつてぼくは言ったけれど、
聞くことは敬いだ。
聞かれるだけで、相手はこころ開いていく。
聞いているものがいるだけで、相手はうれしいものだ。
それは、ずいぶん大きな仕事だと思わないか。

これと同じことを、いま、南畑の仕事において感じている。

同僚の協力隊と二人で聞きに行くだけで、それまでの先入観がどんどん壊されていき、その人のいいところが浮き彫りになる。「困った人」と思われていた人も、僕らの前ではぜんぜん顔を見せてくれて、互いをあたため合うことができる。僕らも元気になる。

聞くだけで世界が変わる。
これは僕自身、自分の師匠に全身全霊で聞いてもらって救われたことで、また、奥さんの話を必死になって聞いた経験からよく分かる。

あ、ちなみに師匠というのは、最近よく読まれているこの記事に登場する橋本久仁彦さんのことである。

「きいてますよ」というのは、敬いなのだ。
同じ糸井さんの対談にこんなのがあるけれど、

この人はちゃんと聞いてるなと思ったら、
相手の人はどんどんアクティブになりますよね。

心から「聞く」っていうことは、
ある意味、すごく受け身で、
裸になって大の字で横たわるようなこと。

相手を敬って、心から「聞く」。
それは、相手にとってうれしいですよね。

だから、話を聞いてあげるだけで
おばあちゃんが元気になったりしますし。

本当にそう。僕らが聞くと、みんなが元気になる。
だから聞かれたがって、いろんな人が来るのかもしれない。

南畑はとても活発な地域だし、すてきな先人たちがたくさんいる。
僕のすることなどなさそうではあるのだけれど、「聞く」だったらできるなと思っている。そして、それこそが案外求められているかもしれない、と思うこの頃だ。

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