おお、心の友よ。
赤ちゃんといると、己の器の小ささを思い知ることがある。
たとえばそれは夜、赤ちゃんがなかなか寝付かず暴れはじめてしまったとき。あやす振動を大きくし、強引に寝かしつけてようやく寝た後、息を荒げながら達成感、安堵感とともに罪悪感にさいなまれる。たった一歳の幼な子にこんなにもムキになってしまった自分が情けなくなる。
あるいは、子どもプラザで立って歩く同年代の子たちを見たとき。まだ歩かないわが子と比べないようにしようと思えば思うほど、モヤッとしてしまう。他人と比べてつらい思いをさせたくない。そんな親になりたくないと強く思うのに、どうしてもモヤッとしてしまう。
そんな矢先に、こんな漫画を目にした。
わかるー。
この漫画で表現されているように、最初は小さな「チクッ」だったり「モヤモヤ」だったりするのだ。それがだんだんモワモワとふくらんでいく。止めたいのに止められない。
僕はこの漫画を読んで「わかるー」どころか、ちょっとホロッとしてしまった。「自分だけじゃないんだなあ」と思えることで、たまったモヤモヤが軽くなった。そして、思ったよりもたくさんモヤモヤをためていたことにも気づいた。そうなってはじめて、妻にも「ちょっと気にしてたんだ」と話すことができた。
赤ちゃんのことが大事であればあるほど、ささいなことで「チクッ」としたり「モヤッ」としたりする。そんなメンドウな人間でいたくない、もっと大らかでいたい、と思うのに、心はいつも平常心とは程遠い。
だけど、この漫画のように「わかるー」と思わせてくれる誰かに出会えることで、ふっと肩の荷が下りたりする。
そんなことを考えていた今朝、LINE に福岡市からこんな文章が届いた。
子育ては修行だという。それは平常心を鍛える心の修行なのかもしれない。
でも普段は平常心でなんかいられないから、こんなふうに知らない誰かが助けてくれたりする。その一声で心のモヤモヤがふっと軽くなったりもする。
晴れわたる空のような心でいられたら、とてもいい。
でも、そうなれない、曇り空の間、助けてくれる誰かがいることは救いだと思う。
もしかしたら、そういう人たちのことを友と呼ぶのかもしれない。
顔も名前も知らなくても、雨の日に傘を差し出してくれるような、そんな人たちがこの世にはいる。おお、心の友よ。
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