オーソリティー

オーソリティーは、突然に。

驚くべき変化だった。
まさに豹変と言っていい。

先週の土曜日、結婚式への列席を終えた桜木町のカフェで、それは起こった。

友人が突然「オーソリティー」になったのだ。

オーソリティー。辞書には、

1 権威。威信。
2 専門の道に通じて実力をもつ人。大家 (たいか) 。権威者。
  (小学館「デジタル大辞泉」より引用)

とある。

この言葉を、はじめて聞いたのは『魂うた®️』の師匠、本郷綜海さんの場だった。

僕たちは、仕事を通して相手に奉仕するときに大事なこととしてこの言葉を教わった。

まだつかめていないところもあるけれど、僕の理解では「断言する人」がオーソリティーに近い。

不確実なことの多い日常で、あるトピックについてきっぱりと断言してくれる人。そういう人の言葉はとても頼りになるし、人生の支えにもなる。

断言のしかたも大事で、どこか上から目線だったり、複雑さを省略しすぎたりしていると、それは伝わってくる。納得できない。このあたりは肌感覚なのだけれど、話者のあり方を感じているといったらいいだろうか。

で、そのオーソリティー。権威とか大家という言葉のイメージどおり、僕は本郷綜海さんのような「強そうな人」だけがもてるものではないかと思っていた。

でも、違った。

場面は、桜木町のカフェに戻る。
そこで僕たちは、列席した結婚式の素晴らしさを興奮しながら語り、それから、お互いの近況や興味のあることについて話しはじめた。

話題が、瞑想のことに移ったときだった。
うちの奥さんが問いかけたことに、友人の一人が急にはっきりと答えはじめた。

彼女はとても繊細な人で、ほわっとしていて、クラスにいたら「不思議ちゃん」と呼ばれそうなタイプだった。全身からやさしさがにじみ出ている感じで「強そう」と思うことはまずなかった。

でも、瞑想の話をしているときの彼女はちがった。

「それはこうだね」
「ここはこうだよ」
「やってみて」

断言だった。一言ひとことが実に明瞭に伝わってきた。

クラーク・ケントがスーパーマンになるみたいに、彼女はオーソリティーになっていた。人が変わったようだった。

瞑想という目に見えない領域について、地図があるかのように語る彼女を見て「頼りになる」と思った。この人がガイドしてくれたら、さぞかしよい旅になるだろうと思った。

そして、信頼感とはこのようにして生まれるのだと知った。
オーソリティーが大事だと教えられた意味がわかった気がした。

思えば、彼女は瞑想について、世界中を飛びまわりながら学んでいる。
そこには時間をかけて得た学びの蓄積と確信があったにちがいない。

人は、時間をかけて確信を得た分野については、オーソリティーになれる。

いかにも「強そうな人」でなくても。

このことは、僕にとって大きな発見だった。

僕たちは、生まれたときから望むと望まざるとにかかわらず、あることについて何度も意識せざるを得ないようにできていると思う。

その「あること」は、音楽かもしれないし、子育てかもしれないし、教育かもしれないし、いじめ問題かもしれない。

そこは育った環境や趣味嗜好によって変わってくるわけだけれど、とにかく人はなにかについて、他の人より多くを学び、考えている。

「強そうな人」でなくても、カフェでの彼女のようにオーソリティーになれるのだとしたら、人は「あること」については、みなオーソリティーになれるのではないか。

そんなことを思った。
だとしたら、すごいぞ。としずかに興奮した。

その日から数日経っていま、自分はなんのオーソリティーなんだろうかと考えている。

勉強や文を書くことについては、いくらかそうなれるときがある。
音楽についてもそうなりたいけれど、好きすぎて気がひけるなあ。

なんてことを。

「人はなにかのオーソリティーになれる」という確信と、そのことによってだれかに喜んでもらえるかもしれないという手応え(それは瞑想の話を聞いたときに「頼りになる」と思ったあのうれしさだ)は、もう消えない。

それを知ったことで、先々ひらけてきそうな可能性を感じる。
なんだか、とてもワクワクする。

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