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もらいすぎた日。

きのう、懇意にしているご家族に会いに行った。

ちょっとだけの訪問のつもりだったのに、お祭りみたいに料理をふるまわれ、話をきいてもらい、カゴから出た鳥が飛びまわり、おなかもそれ以外のところもいっぱいになった。夫婦二人ともおしゃべりなのだけれど、帰り道は呆然としてしばらく言葉が出ないくらい。

親しくお付き合いさせてもらっているとはいえ赤の他人、第三者からこんなにしてもらうことって、今まであっただろうか。お金も払わずに。「お金を払ったから対価を受け取れる」世界に慣れきった僕らには、一方的にもらうばかりのこのおもてなしは強烈だった。

訪問前には奥さんの体調が優れなかったり、悩みごとがあったりしたのだけれど、帰り道にはそれらも消え、彼女の足取りは跳ねていたらしい。本人によると「途中でどうでもよくなった」という。

僕たち夫婦は長らく二人だけでその悩みごとを解決しようとしてきたのだけれど、第三者の皆さんにきいてもらうことでバランスがとれた感じがした。一本足より二本足、二本足より三本足の方が安定するのは当たり前なのだけれど、僕ら二人とも誰かとべったり付き合う方ではないので、体感するまでその感じがわからなかったのだ。

なんにも返せてないのに、こんなにもらっていいのだろうか。そんな落ち着かなさを抱えながら帰路についたが、おかげですごく元気になったし、風呂に入ったら急に「次にしたいこと」が次々に思い浮かんでびっくりした。しばらく新しいことはする気がなかったのに、急にターボがかかった感じで車酔いしそうになった。

なにか特別なことをしてもらったわけじゃない。家に招かれて、ごはんをいただいて、おしゃべりしただけ。それなのに、こんなにも気力が充実するなんて。

いま時節柄「会うこと」や「集うこと」がしにくくなっているけれど、だからこそ「本当に会いたい人たち」に会うことは何倍も栄養になるのかもしれない。

今日もターボモードは続いていて、なんか嘘みたいだな、と思いながらこのノートを書いている。

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