叫べという。
「叫べ」という この確かな心を
という曲が Radwimps にあるが、僕は今日ちょっと叫びたい気分だった。
でも、うちはマンションで、しかも壁が薄い。
だから思いっきり叫ぶことなんてできない。
島国日本の住宅事情は、叫ぶことには向いていない。
そうは言っても、日常の中で叫びたいことってある。
暴れたいことも、なんなら殴ってやりたいって思うことも、ありますよね。僕だけですか。
そういうものの行き場がないなあと思うことが、僕にはよくある。
行き場のないエネルギーをくすぶらせたまま、壁の薄いマンションに住んでいるのは、あまり健康にも地球にもよろしくなかろうなんて考えたりもする。
だから、僕は歌に、『魂うた®︎』というワークショップに意義を見出している。
ここなら、思いっきり叫ぶことができる。暴れることも。
歌の中でなら殴ることも(大きな声では言えないが殺すことだって)できる。
そういう「なんでもあり」の空間が、歌にはある。
社会的には許されないはずのエネルギーの表出が、ここでは「よきもの」に変容する。
人とのあいだも、家とのあいだも、こんなに壁ばっかで仕切られて、僕たちは遠慮がちに身を縮こめて生きざるを得ない。児童館の男の子たちが、時々暴れて壁をぶち抜いたりするけれど、その気持ちが分かる気がする。
仕切られた壁にうまく押し込んだものが「自分」だなんて、冗談じゃない。
でも、縮こまることばかりしていると、身の丈も力の出し方も分からなくなる。声を出さずにいると喉の筋肉が衰えるように、僕たちのいろんな力だって遠慮してるうちに萎えていくんだと思う。
だから叫べ、と僕は思う。
そのための空間を用意したいと思う。
僕は他の人たちのように「先生」になって、「生徒」や「弟子」にわかったようなことを言える立場にない。ただ、ぐちゃぐちゃになっているところで「君もそうじゃないのか」という気持ちをぶつけることしかできない。
でも「すかっとするはずだ」という手ごたえはある。ものすごく。
こんなに窮屈で「叫べるところがない」と思っているのは、僕だけじゃないんじゃないかって。
ところが昨日と同じ僕だった
繰り返すことに嫌気さしたんだ
その繰り返しの壁をぶち抜くために、叫べ、という。
そんな時間と空間を必要としている人たちのために、この場はある。
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