ドリームライツ

理屈ぬきで。

カラスなぜ鳴くの
カラスは山に
かわいい七つの
子があるからよ
(童謡『七つの子』より)

というけれど、人はそんなに理由がなくても泣くときがある。

昨日、ディズニーランドの『エレキトリカルパレード・ドリームライツ』を観ながら、奥さんは泣いていた。僕は足を痛めて車椅子に乗っていたから、その嗚咽は頭の上から聴こえた。

僕はいま40代だけれど、20代の頃はここで働いていた。いわば古巣だ。だから20年経っても純粋な「お客さん」にはなりきれず、「キャストの子たち若くなったな」などと、なんとなく親戚のおじさんのような気持ちで過ごしてしまう。

アフター6パスポートで、しかも7時に入園したから目をつぶって開けるくらいの早さで時間が過ぎてしまったけれど、数年ぶりのパークは、ほんとうに充実していた。

先のパレードでは、僕自身もふぁんふぁかふぁーんというファンファーレでウルっときたし、極寒から生還した後の「れすとらん北斎」のみそ汁は臓腑に染みた。スペースマウンテンは想像以上に暗くて速くてよく回ったし、プーさんは相変わらずはちみつまみれだった。

全部がつくり物なのにやっぱり心が動く。とても感心した。理屈ぬきでたのしめた。

ディズニーだけでなく、この三日間の東京滞在では、そんな「理屈ぬき」の瞬間がたくさんあった。『BAR 白と黒と極彩色』で飲んで食って歌って、『春立つ円坐』で語って聞いて、今日は漫画喫茶で『鬼滅の刃』『王様ランキング』を読みふけり、友だちと懇々とおしゃべりをした。

どの場面も鮮明だ。そして「あんなことあったよね」という誰かの一言で思い出される出来事も数も多い。こうして記事に書いて話したいこともたくさん。

こんなふうに一瞬一瞬が「画になって」カメラに収めたくなるような、日記に書きたくなるような日々を刻んで過ごせたらなぁ。

そんなふうに思える滞在だった。
理屈ぬきで楽しめた三日間だった。

理屈って、僕らにとってなくてはならないものだと思われている。でも、人はほんとうは積み木みたいに組んできた理屈がバラバラと崩れた、人と人とを分け隔てることのない空間が広がったその場所で出会いたいんじゃないかな。

「そんな理屈ぬきの場所にいたなぁ」などとうれしく思い出しているうちに、僕と奥さんを乗せた新幹線こだまは熱海に着いた。

僕の中でも、この三日間の思い出があたたかくこだましている。

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